2013年8月22日木曜日

逃げずに立ち向かう!ことを楽しむ。

いつもありがとうございます。感謝。



毎日が特別な日。


自分で自分なりのご褒美を、チョコッとして、モチベーションを上げる。


動機づけはいくら周りからいわれようと、その時は一時だけであり


自分自身の「意味づけ」「理由づけ」


そして「学び」方によって動機づけ要因は違うため、これがどうすることも


できない環境の課題であると、動機づけはその場面によって


効果はまったくといいほど違う。


わたくしは「あなたにお願いしたい」という言葉や「ほかの人ができなかった」とか


困難であればあるほど、やりがいや動機づけのスイッチがONされるのですが


あなたにお願いしたいといいながらも、言葉なき暴力を感じたりすると


いっていることと、やっていることと違うじゃないのと思い


トーンダウンする。 かなり落ちこむだけでなく、仕返ししたくなる。


いま話題の半沢直樹ではないが「倍返し」「10倍返し」どころではない。


「無視」という、最強の戦略をよくも悪くも選択してしまう。


ビジネスのみならず、人生は、すべて


「逃げずに立ち向かう」ことが、大事と私は思っている。


まだまだ人生半ばであり、未熟者ではあるが、諸先輩から


教えられてきたことは


「決してあきらめない精神」


NO.といわれたら、チャンス。


チャンスといわれたら、疑う。


疑われたら、まずは謝罪し、そして、しばらく間を置く。


とはいえ、すぐに元の関係に戻れるよう、十二分に配慮する。


それでも足りないこともあるので、しばらくは、相手の様子をうかがう。


信じて待つのである。


逃げずに立ち向かうことで、繰り返し反省し、反省することで


ある何かを悟る。


悟ると、みかたが変わる。


悟る前に、実はかなり落ち込む、自暴自棄ぐらいになるぐらいに反省することはマスト。


自分自身を戒めるということだろうか。


大げさではないが、人生とは、生きていくのは、有難いことなのである。


ありえないことの連続であり、運をよく回す、還元することが


われわれ一人一人の社会人としての使命のような氣がする。


とりわけ、「困難に立ち向かう」「運からみはなされた」そして「そこに意味を見いだせなくなる」


まで、日々本氣で命をかけて、何事にも立ち向かえるかどうかである。


丁寧に配慮できるかである。


しかしながら、メールでは配慮、察することも限界がある。


本当にいまのこの世は便利だけれど、厳しい世界であり


本物が問われる楽しい時代でもある。


「困難かもーん」ぐらいの精神でいると、来ない。


ひとつひとつ、将来を予測しながら、いまを正確に分析しつつ、未来の無限の可能性を


見据えて、日々の一つ一つの行動すべてをつなげるようにする。


なにごとも、おぎゃーといわれて、死ぬまで、そのひとの使命からくる


生きざまはつながっているのである。


まずは、無理そうなこと。夢をいっぱい明るく、限りなく豊かに、イメージすることが


大事。同時に、手をあわせて感謝することで、悟り続ける習慣をわれわれは


身に着けることがいまは必要ではないかと思う。


先のことなど、誰にもわからない。


誰にもわからないからこそ、だれかがそれを動かしたいというきもちがあるからこそ


世の中はよりよき方向に動くのである。


楽しむこと。


すべてのできごとがふりかかる有難いことは人生でそんなにはないのである。


命を取られる以外は。


命をやむなくとられても、死ぬ時期でなければ、生き返るのである。


いまは医療が私たちが創造する以上に世界中で進化している。


ただ、わたくしの母の難病は、いまは医療のなかでは解決できない。


だからこそ、難病。 難病の難病たる意味合いを日々たたきつけられているからこそ


「逃げずに立ち向かうことを、楽しむ」


となるのではないかと思う。


有難い。


人生でおこることすべて無駄なことなどなにもないのである。


そーではあるが、それでも、つらいときは、思い出してほしい。


「つらいのは、苦労しているのは、あなただけではない」ことを。


”生きたい”と思っても、生きられないこともある。


それは、その人の時期なのである。


ケセラセラ。


なるようになる精神、ながいものにはまかれろ。。。も時には大事ではないかとも思う。



ただし、自分が命をかけて生きたかどうか、命をかけて行いをしたかが


もっとも大事なように思う。


おっと、熱くなりすぎた。


有難い、有難い、有難い。


感謝すること、成功を加速させる。


感謝


Kei  拝



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