2011年2月28日月曜日

何であるかということ。


なにをすると(最)善なのか?
とか
なにがいいのか?
ではなく
何であるか(=何がもっとも大事な課題なのか ほか)?が大事で
あると思う。 行動をおこす前に、考働力(上記など、本質を捉えつつ考え抜いて
自分も含め、まわりに働きかけることなど・・・)を活かし、課題解決に
向かってほしいと思う。
なぜなら・・・
時間がたつのは速い。
時は金なり。
感謝

2011年2月27日日曜日

風邪ぎみ?

ふらっと、お散歩・・・


クシャ、くしゃ、、、連続して、くしゃみが止まらない。


もしや、風邪?


健康第一


早く寝ましょ、明日からのお志事(=仕事)のために。


敬子

道をわたる

かすんでみえる道も


自分の信念ある行動で、わたる努力をする。


環境に苦情をいう前に,自らを振り返りたい。


感謝


敬子

2011年2月26日土曜日

越えるものは自分、勝つべきものは自分

梅 うめ の木。


久しぶりに晴れた日、病院の入口で、顧客との電話を受けるため


すこし外にでてお話しをしながら、駐車場や行き交う人々、そして


自然に目を向けていた。



すると、緑、茶色、枯れた色が並ぶこの季節に


ピンク色した花をみつけた。


かわいいーーーと、お客様との真面目なお話しも終わり


お別れをいったあと、相手から「先生いまどちらにいらっしゃるのですか?」


といわれたので「梅の木の下」と言った。


お客様もその梅の花のピンク色を感じながら、思わず笑いがでて


それではまた・・・ということで電話をおいた。



ふと、美しいもの,かわいらしいもの、そして目新しいものを


発見すると人は感情の変化をおこす。


このふとした感覚は、自分を取り戻すための瞬間であり


また、新たな学びの第一歩でもある。



先日大変こころが痛むことがあった。


体中がバラバラになるような感覚が私自身に感じ取れた。


深く深く反省すると共に、


「おきたことはしかたがない」と割り切り,『次におきないようにしよう!』と


組み立てなおす。しかしながら、その割り切りを身体が許さない場合もある。


そういう場合は、”自らが一所懸命にやった!という感覚がある時”や


”ひとりを除いて、ほかの方々から、感謝の念を頂いた”時である。



ひとりにも悪いと思うが、同時に,他の方々に大変申し訳ないと思う。


おそらくその一人は、多くの人々に迷惑をかけた。


そのことを自覚しているのだろうかと疑問に思う。



自分の固定観念を消すのではなく、様々に変革してこそ!


次世代に求められる,いや、いつの時代も求められる


プロフェッショナルなビジネスパースンである。



そのひとを囲む方々の苦労を考えるとこころが大変痛み


涙がでる。


おきたことはもう取りかえすことができないが


2度と、決してこんごこのような迷惑をかけるひとがひとに迷惑を


かけないように祈ると共に,自らの考働(=行動)を変革し続けていきたいと思う。



この場をかりて、大変であったこと、労うことを共有したいと思う。


自分のこころに自問自答し,問いかけ,そして


この言葉を自分におくりつつ


『越えるものは自分,勝つべきものは自分』


そう自分で何回も何回も自分の行動を振り返り


次なるステージに向けて、無駄な戦いや時間を省くために


日々努力し続け、考働(=行動)力を


高めていきたいと誓う。



すべてのひとに感謝。


ありがとうございました。


あなたによきことがおこりますように・・・


敬子

2011年2月22日火曜日

何か氣になる。


ご訪問ありがとうございます。感謝
何か・・・氣になる。
そんなことはないでしょうか。
わたくしはあります。
今日は何か氣になることばかりで、こころが落ち着かない。
何をしていても何かしら氣になることがあり
集中力にかけるのか、早く寝た方がいいのか?
そんな時は、リフレッシュのため
散歩をする。
夜中であろうと、ふらふらとあるく。
というと危ないようにも思うが,ちかくのコンビニエンスやスタバにいって
何かしら、新しいものを発見して、見る目をかえて
考え方をかえるためにいく。
ふと、帰り際,なにか氣になる感じがして
シャッターをおした。
すると本当になにかしらを感じる。
美しくも感じた。
霊感はかなり強い方だとある霊感者から
いわれたことがあり、確かに、いろいろと見えて困ったこともあった。
仕事にこそしてはいないが、仕事にも活かせる。
非常にまれではあるが、この隠れた才能を活かしてみることもある。
感じすぎて逆に困ることもある。
それが自分が悩みを抱えていたり、その場に居心地が悪い場合
このようにエネルギーを感じてしまい、自分でとても重くなって帰ってくる。
そうすると、肩こりが凄い。
重い鎧のようにわたくしの身体にしがみついている。
いろいろと筋トレしてはいるものの、まだまだ
修行が足りず、感じたエネルギーとの交換ができるレベルではない。
磨いてみようか。
そのエネルギー。
まずは、体調をベストにすることが
最優先であるかと思う。
感謝

2011年2月21日月曜日

時間軸はひとによって違う

引き寄せられるようにシャッターを切った。


大手町駅に下車して、大好きな本屋さんに立ち寄るために


少し前から歩いてみたいと思い、暗い地下道の階段から


地上にあがってくると、大変明るく暖かい日差しがわたくしを


照らしてくれていた。



またまたどうして、、、ここでシャッターをおすのか?という


顔をされつつも、臆せず。。。


自分では大変いい写真と思った。



いろいろと話を聞くことが多い仕事であるわたくしは


今日もまた色々とたくさんのお話しを聞くことができた。


このような機会を頂いて,本当に感謝している。



「カウンセリング」のような「コーチング」のような


コンサルティグではないようにも思うが,上記の両方のスキルを


最大限に活かしつつ、お仕事をさせて頂いている。



エネルギーの交換をするつもりではあるが


ひとによっては、非常に心が痛んでいたり、身体が少し疲れていたり


また、精神的にストレスフルであったりすると


電話を通してエネルギーをUPするような声かけをしたり


相手のこころのスイッチを押すように、共感する。



ただただ共感するのではなく、聴いて感じるということである。


ひととの出会いも、一期一会。


ひとを照らすのも,一隅を照らす。


何事も1という数字が着いている。


この1という魔法の数字は、なかなかすぐに1をかけない


ひともいる。


もしかしたら、数字は0から始まっているようにも思う。


0と、行動は起こしてはいないが、頭の中でカウントする。


1までの勇氣。


この勇氣ある行動を起こすまでに人はそのひとの時間軸によって


数コンマで行動するひともいれば、何分後、何時間後


または、何年もかかることもある。



数年かかったとしても,1をカウントしないひともいる。


それは、ご縁がなかったと思う事である。


ある意味,あきらめることにも何らしかしらの意味があるとわたくしは思う。


1、あなたは、何を新しく始めますか?


感謝


敬子

2011年2月19日土曜日

氣づいて驚く


わたくしの好きな通り。
思わず、パシッと写真を撮っていたら
横断歩道にいた男性が驚いていた。
いやいやあなたはとってない・・・
といわんばかりのわたくしは態度をして一礼し
ささっと、横断歩道を渡った。
東京駅でS氏と約束し、暫くお話しをしていると
あることに氣がついた。
どうも前から話のリズムが似ている・・・
何かしら同じような感じがする・・・
なにやら、なにかわからないが前から知っているような氣がする。。。などなど
すると帰り際に、同期であることが判った。
早生まれのわたくしは、殆どのひとはお兄様。
ついつい兄貴といってしまいました。
同期といわれると嬉しいやら、、、とおもうが
いつもわたくしは同期であっても、どうも男女問わず・・・
こちらは戦う氣がないのに、なにやら相手が仕掛けてくる。
けんかを売られると、素直に受け入れるわたくしは
負けない。
最近,この戦いをどうしたら避けられるかを課題に
いろいろと考えている。
そうだ!3月10日生まれ!という
早生まれと,背の低さ、そして最近では体力のなさを武器に
かわいがって頂こう!!!
そう思うようにしたら、かなり楽♪♪♪
考え抜いたひとつのアイディアであるが、最近よくこのアイディアは
成果を出す。
かわいがってもらう。
これは変にあまえるのではなく
徹底的に戦いをはずすということである。
その為には、先を先を先を読んで,そして、話をじっくり聞きつつ
そして、すぐに対応するという武器に磨きをかけなければならない。
どうしたらいいだろうか。。。
いろいろと試している。
相変わらず書籍は月間最低でも40冊~60冊を読んでいる。
楽しい。。。知力というか、いままで同じように読んでいた本でも
大分違った新しい視点で読むことが出来る。
それだけ年をとったからであろうか。
そして、人間性を高める書籍が本当に多くなってきた。
そのS氏にその一冊である書籍を紹介したら
「あーーー若干宗教っぽい」
とざっくりやられ。なにも言えない。
連続して、哲学系の書籍ではあるが
たしかに人間の本質のようなところをついているため
そのように感じられるのかもしれない。
同期のS氏と価値観がもっともあうところは
「成果をださなきゃ意味がない」
という所だろうか。
申し訳ないが、そのS氏のいる企業に
そのような考えをもつ人がいた!!!というのが
正直驚くと共に,だからこそ、このS氏は全国一位となり、医師からも
一目置かれる人間である。
とそう思った。
大きな身体が小さくみえるほど、いろんなことを考え抜いているS氏は
最近小さく見え、そして、なんとなく内からでるものから
なにかしらサポートしたくなるオーラを出している。
帰り際,兄貴!と読んだが,兄貴としたいつつ
同期の妹として
兄貴のために何かしらわたくしにしかできないことを
何かしら実行してみようと思う。
ひとりでも多くの方に,幸せになって欲しい。
とこころから私は思う。
感謝

2011年2月18日金曜日

ボチボチいきましょか。


皇居の前,わたくしの大好きな東京都内スポット。
小さいわたくしはいつも壁がある。
その壁の合間をぬって、前を見たり、横に行ったり
そして、先がみえるようにイメージしたり、そりゃ~苦労の連続・・・
まえに何もない。。。
氣持ちいいイイイイイイイイいいいいいいいいいいいんです。
そして、所々に、石があり、この石がなんともすわりごこちや
ものを整理する台にちょうどイイ。
顧客からの様々な難問を解決に少しでもはやく
ご支援させて頂く為に、何をすべきか。
わたくしにしか出来ないことが、何かあるはずである。
そう信じて,色々と勉強する。
最近,余裕がでてきたのではなく
「タイミング」
を図るのが自分でいうのも変だが、少し前よりも
わかってきたような氣がする。
それは
「無理をしない」
ということ。
それでも、緊急性の高いことのなかで
あとにまわせることも実はあるのである。
それを考え抜くのが、戦略である。
ぼちぼちいきましょかっ!
おーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
感謝

2011年2月14日月曜日

繊細かつ大胆


拘りを持った方との出会い。
チョコレートの臭いがした。
と・・・いうと笑われるかも知れない。
六本木ヒルズで映画『ウォール・ストリート』を観たあと
ロブションでいつものパンを買い、そして、帰ろうと
エスカレータのところまでいこうとしたとき、大好きなチョコレートの香りがした。
そして、ある人物を発見!
いつもヒルズの坂をおりる途中にある、チョコレート屋さんの
世界でも有名なパティシエがいた。
写真でみるよりも、優しくおだやかな顔をしていた。
いち早く発見し、そばにあった、いつもバックに忍ばせてあるチョコレートを
買い、日頃の感謝を伝えたいそして、できれば握手してもらいたい!!!
そう思っていた。
そう思う人間はわたくし一人だけではなく、小さいわたくしは3番目。
一人目、チョコレートにサイン。
二人目、チョコレートにサイン+自分の名前。
さあ!わたくしの番だ。
いつも持っているアイディアノートであるモリスキンにサインをできたら
してもらおうとねだった。笑)))
優しく瞳に星が入っていると思われる位にキラキラとした目で
”チョコレートにサインはいいんですか?”
といわれたので、こちらにお願いしますといったら
”では、チョコとこちらにサインします。お名前を・・・”
そういって、快く2つサインして頂いた。
性懲りもなく、ダメモトで、
”いつもありがとうございます。大好きで食べさせて頂いています。
できれば握手して下さい”
とお願いしたら、握手して下さった。
まるでマシュマロのような柔らかく繊細な手をしていた。
あまりにやわらかいので、そっと、握手させて頂いた。
有り難い。感謝、感激である。
いつもいくロブションのパン屋のお兄さんも、パンドミーを
4つにきって頂く御願いをすると、目に星を持って、キラキラしながら
”美味しいですよね。ぼくも大好きで毎日食べてます。
4つですと、食べ応えがありますよね。。。”
といって,快く。 そして、季節ごとに開発されるパンやデニッシュの
お味のコメントをいうと、また、輝きをまして、
「本当に美味しいですよね・・・」
と自分がつくったのも忘れて?一緒に美味しさを味わうかのように
パンをいとおしむように見る。
その姿はまるで、商品を我が子のように見る目である。
実は,握手とサイン、そして感謝の念をいいたがる
小さい子供のような私を目の前に,そのパティシエも
大事そうに大事そうに,いとおしむかのようにチョコを袋に丁寧に入れていた。
そして、大事そうに,大事そうに,わたくしに両手でその小さな袋を
渡した。
それを見て、またわたくしは自分の好意に反省し,そして、その好意に
感動し、さらにここのチョコ、パティシエのファンになった。
帰り際、そこでチョコを買ったにもかかわらず
そのお店を素通り出来ず、予備のチョコをかって帰った。
今、わたくしの家の冷蔵庫には、いつも以上に
チョコレートが常備されている。
緊張したり、考え事をしたり、そして何かなくても
毎日わたくしはチョコレートを一枚頂く。
何かしらのチョコレート。
以前は明治製菓のチョコレートぱかりであったが
一日一箱食べてしまうので、母が、ちょっぴり高価なチョコであれば
ひと粒づつ食べるだろうということで、ゴディバとそのヒルズのチョコのみとなった。
ゴディバのチョコも、海外出張の帰りに
お土産<自分用にという具合。
世界中の美味しいといわれるチョコを探しては食べる。
カカオの度合いにもよるが
チョコレートは大好き。
恐らくゴディバは目をつぶっていても判ると思う。
よく食べている。
繊細な中にも,ひとつぶで2つぶの味という
大胆な発想もするゴディバ。
そして、ヒルズの途中にあるチョコレート屋さんも
チョコにトリフやフォアグラ、そして絶妙なカカオのバランスと
洋菓子をチョコで演出する。
日本人であるからこそ作れる芸術作品でもあるように思う。
センスのあるパティシエ。
わたくしはそこのチョコレートジュースが大好き。
カウンターバーがあり、そこでちょこっと座って
ケーキやチョコレートと一緒に
チョコジュースを頂いてもそれぞれに味がぶつからないように
美味しさをデザインしてある。
凄い。
そして、美しい。
ぜひ1度,教えたくないが,いってみて欲しい。
本当に,美味しい大人のジュース。
感謝

2011年2月13日日曜日

予感

この所、日本では雪が降って、雨になり


路面が濡れている状態が続いている。


天氣がいいのは嬉しいが、時には道が濡れて


しっとりと歩きたいものである。



いろいろと考えて歩いてみると、舗装された道や、昔のふるきよき時代を


思わせるような道もあり、その道のまわりに住んでいる人々の環境を疑う。


この道が歩きにくいのも、歩きやすいのも、そして、ある程度あるきにくくても


このみちはこうだと決めてしまっているなど・・・



会社も、組織しもそこにいる人々も、新たな見方をしないかぎり


ある環境に慣れてしまう。


社会はうごいているからこそ、世はなりたっているのであり


そのことさえも忘れてしまい、保身に入る。



保身という意味、わららないわけでもない。


すこし普段とは違った見方や、はっそうなどを考えてみると


ある種の予感が生まれてくる。


いい予感のあれば、悪いことも予期することが出来る。


なぜなら・・・


自分が何かを望み、そして、それが何かを引き寄せる予感がするからである。


ながいことすみなれた街、日頃お仕事させていただいている業界を


あるいてみると、ある種の予感を感じる。



様子を観ながら、、感じながら、前にすこしづつ


周りと意見交換しながら。。。


未来を築いてみたいものである。



感謝



敬子

2011年2月11日金曜日

水があるところに・・・


新しい日本、東京の名所となろうとしている”スカイツリー”
テレビでは何度か見ていたが、実際の実物をみたのは
初めてでした。
第一印象は・・・でかい!
この一言。
近いところまでいったからかも知れないが
東京タワーとは違ったたたずまいである。
なにかを作るとき、なにかをみたとき、わたくしは
そのものの意味づけを理解しようとする。
どうして、なぜ?ここに、これがなければならなかったのか?
ということを、ひっそりと考える。
ちいさな私は、おおきなものへの、背の高いものへの
あこがれはかなりあるほうだと自分でも理解しているが
ここまでおおきいと正直、ひく。
また、東京タワーという近所に住んでいるからかも
知れないが、あの美しいたたずまいに、なれてしまったのか。
判らない。
なにかしら悩んだり、どうしょうもないとき
実はわたくしは、東京タワーに昇る。
そして、展望台で、泣く。
ぐらぐらとぐらぐらとぐらぐらと揺れる東京タワーは
わたくしの目から出る涙をまたゆらして
涙がこぼれるように。。。
ひとしきり泣くと、階段を下りて、蝋人形館やおみやげうりば
そして懐かしいゲームセンターなどを通って
したに階段で下りる。
ゆっくりとおりてくると
これまで泣いていたのがうそのように元氣になる。
介護に疲れたとき、仕事に疲れたとき
そして、
なにかしら、高いところから、ぼんやりとしたいとき。
いつでも
東京タワーにのぼっていたからかも知れない。
時代は変わってこそ、本質。
よりよきものを追い求め、よりよい生活環境や
整理整頓、清潔をもとめて
これからも、地道に、水をもとめつつ
あるきたいものである。
感謝

2011年2月9日水曜日

自分との約束を守る


自分に素直になる為に、自分に自信を持って行動できるように
知識や経験を活かして、リスクをできるだけマネジメントする!
そう、グローバル人材育成において
プロフェッショナルをめざすリーダーの方々にお話しをしている。
もう少し砕けたいいかたをすると
自由に氣兼ねなく、自分が不・快な想いをしないように
これまでの経験や知識を踏まえて、常に行動をする。
ひとと遭うと、ひとはそれぞれにそのひとの判断の枠組というものがある。
その枠組があるからこそ、良し、ワルしが判断でき
そして、リスクを回避出来る。
ひととあう仕事をしていると、そのひととのわくぐみの違いが
つきあうなかではっきりしてくる。
20、30代であると、常にひととのコミュニケーション、働くを通して
その枠組は常に変化する機敏さがあるが、40代、50代と
なってくると、その機敏さが、良い意味での慎重や、良い意味で
新しい発想や成長を敬うことができなくなる人がいる。
氣付かないうちに、それに近くなるひともいたり
そうでないひともいる。
今日も、ひとを敬うこころが錆びかけているひとと。
いっけんは「いいひと」であるが
ある角度をかえて見ると、サビ男くん。
そのサビ男さんと付き合う為に、わたくしは戦闘態勢を変えている。
自分との約束を守る為に。
無駄な攻撃をうけても、交わせるような精神を鍛える。
そう、ある意味、無駄な交渉をさける。
それこそ、戦略である。
この無駄な交渉をさけるためには、
『常に新しいものを自ら見つけて
そこから発せられる意味づけを
自分なりに考えてみる』
例えば、
まず、この写真をみたときに、
アッ!
と想うなにかや
何これ!
なんでこの写真?
と思うかどうか、である。
よき探求するという
よき好奇心が、自らの無駄な交渉を
マネジメントできる
日々のトレーニングの一つである。
感謝
追伸、この写真は何でしょうか。なぜこの電光掲示板は
ゆかに掲示されているのでしょうか。どうして、ここにおく必要があったのでしょうか。
きれい?そう思ったでしょうか。nado nado・・・
あなたなりの氣づきから、何かを学びとってみては如何でしょうか。
無駄な攻撃を受けないように。

2011年2月7日月曜日

やりたいことがある。







最近、道を見ていると









すぐにシャッターを切りたくなる。









自分の道を開きたい! その意志からではないかと思う。












『すべてから学ぶ』









学び続けることを決めてからというもの









勉強するのが楽しくてしょうがない。












寝ることも忘れてしまいそうである。









自分での研究テーマを日々掲げて、少しでも









それに近づけるように努力する。












キッと、努力している自分が好きなのだと思う。









プロフェッショナルな人を研究していると









その傾向は、若干あるようにも思うと共に









不安でしかたがたない・・・という陰の声を聴くことが出来る。












年をとってくると経験が自分の自信にもなるが






同時に、その経験からか、新しいチャレンジを妨げることがあるかと思う。






それが良いのか、悪いのか。。。判断を日々瞬発的にされているひとや






じっくり考えてからするひとなど、何もしない人。








いろんなタイプがいる。






ひとはそれぞれ違う経験を持ち、



ひとは違う思考をもっている。



普遍的代わらないのは、人間は最終的に



すべての答えは、ひとりひとりのなかにすべて整っているということではないかと



最近つくづく思うのである。




やりたいことを見つける。



やりたいことをヤル。



やり続ける努力が、何かを成せるのではないかと。




そう氣付かせてくれた道・・・



これからも、道を眺めて、感じつつ



新しい発想をしたいと思う。








2011年2月4日金曜日

みちをススム


学問をする上で、この道一本で
鍛え抜く。
学び続ける上で、どのような道を歩むのか・・・
自分のいごこちのよい場所や、自分が何十時間没頭出来ること。
その分野を一流のレベルといわれるまで
熱心に研究してみる事。
自分の人生は自分で決める。
大人になってくると、みな同じようにいう。
最終的には、ひとは自分が答えをもっていて、答えをもっているからこそ
迷い、悩むのである。
判断基準などがあるからこそ、であるかと思う。
まわりに合わせて、行動するのが、楽といえば楽であるが
それは、社会人として、人として生きていく上で
最低限もっていなければならない歩み方。
それは、ただ、生きる。
という責任ではないかと思う。
人間は辛くなると、やたら頑張るひともいるけれど
自分の動機を否定されたり、非難されたり、そして、自分で納得がいかない場合
人は、あんびょうたんになるのである。
暗く、病的に、短気になる。
深く深呼吸もできない状況になる。
自分の判断のレベルを常に磨いて、深くそして広く何か先をみれるように
見識を増やすということ。
脳は新しい発見が大好きなのである。
新しいものに気付き、新しい物に刺激されて
そして、これまでの自分の思考回路や知識の棚から
まるで本をいれかえするように、自分の知識を増やしたり消したり等々する。
みちをススムということは
とても大変な事である。
ひとりで歩む。
これもまた・・・
ふと仕事の帰り、道をあるいていて
ふと学ぶことの意味を深く深く
考えてしまった。
道を進む=みちをすすむ→「なぜ?を繰り返し」
精一杯生きる
ことではないかと今日のところは思った。
感謝

2011年2月1日火曜日

あともう少しで・・・


毎日寒い日が続いている。
今日は昼間12度位までいったが、夕方はまた寒さが冷たく感じる。
日本の冬はNYの冬とは違い、風がある。
まだ六本木ヒルズのイルミネーションが輝いている。
あともう少しで節分。立春を迎える。
本当の意味での2011年がスタートする。
今年も、どう生きようか?
その生きるために、どう行動するか?
を考える。
目標を立てる。
立てることが先、行動するのが先。
どちらでも問題はない。
要は、志、願望に少しでも
近づくように
準備をすると言うことである。
あともう少し。
もう一度、新春に戻ったつもりで
一日一日を大事に、そして、前に向かって進むために
ゆっくり考えてもイイ、作戦を立てた方が
余分な時間など、取らずに済む。
じっくり
深く
考えよう。
明日の為に。
感謝