2011年4月30日土曜日

滝桜の写真が欲しい。。。



東京都港区新プリンスホテルの近所の桜。



4月も今日も終わり。



4月と言えば、、、桜。



日本と言えば・・・桜。



桜には特別の意味が日本国民にはあるように思う。



わたくしにとっての桜は、『始まり』何かをするにあたっての始まりでもあり



そして、このはかなそうで強く、人に素敵な印象を残し、大変いいイメージ



だけを記憶に残す。



わたくしは実は、桜と緑が混合されているような風景が好きである。



今年も、そんな風景を求めて、家の近所を散歩。



港区に住んで、早いもので10年以上になるが、まだまだ



港区は奥深く楽しみが眠っている。




自分の気持ちをこのように写真にしてみる。



そんな時に、大事にさせて頂いている顧客のSさんに



何気なく話してみると



「僕はね・・・滝桜、が好きなんだよね~」と



ニッコリ微笑みながら素敵にお話しされた。



このSさんは本当にひとを動かす天才。自分ももちろん、ひとよりも早く動くことと



ひとに言葉は悪いが、正直、もの凄い動かされている。。。



きっと嫌なこともあるだろう。。。辛いこともあるだろう。。。しかしながら



Sさんの凄いところは、その状況を、常に肯定的に捉えているところである。



そんなSさんの貴重な情報を得ることができたが。。。既に桜の時期は。。。



滝桜を写真にとりにいくわけにもいかず。。。



インターネットではいくつかあったが。。。



できれば、このブログを観られた方で、滝桜の今、または、滝桜が咲いている



このブログにのっているような写真を携帯カメラでもっているかた。。。送って頂けると



有り難い。。。祈。 そのいつも頑張るSさんにみせたいのである。。。



喜ばせたい!



今日も何人かの友人に電話をかけてみた。。。するとみな。。。桜の時期は・・・という。。。



できれば、お願いしたい。 info@keishogrm.com にメールにてお名前と共に



お送り頂ければ、何かしらの御礼を致しますので、よろしくお願い致します。



では、また。



ゴールデンウィーク2日目。あなたは何をしているかな?



感謝



2011年4月26日火曜日

見えないこころを表す



『創造力を高める研修』をお願いします。



そういわれることが、多くなった。



先の見えないこの世の中で、社会を共に生きる人としての役割。



それは、ひとりひとりが、自分でできることを、まわりに働きかけて



実現し、より豊かな生活を営めるようにすること。




『生き残るための大学生活』について、お話し願います。



こんな依頼も後を絶たない。



学生もビジネスパースンも、早かれ遅かれ、”先を読む力”を育てることは



素直な子供時代、純粋なこころをもっていたあのころ、そして



何事も「よき好奇心」をもって、勇氣をもって、



”これは、なに?””どうして?”などと聞けることができたころとは違い



この世は本当に暮らし難い。。。



同時に、”コミュニケーション”研修も多くなってきた。



わたくしは、コミュニケーション研修は受けないことにしている。できるだけ・・・



なぜなら、コミュニケーションはただ一つだけ



常に心懸けて、心配りして、氣をくばっていれば



深く悩むことはなくなるからである。




こころとは、目にみえない産物である。



その見えない産物であるからこそ、貴重価値があり



ひとはそのこころの探り合いをするのである。




見えないこころを表す。



見えないことをみえるようにする。



このことが、コミュニケーションを円滑にするひとつでもある。




たったひとつだけ、コミュニケーションで伝えるのであれば



わたくしはこの言葉しか言わない。



『ひとはみな人それぞれ違う』のである。



だからこそ、尊敬、尊重しあえることができるのであるかと思う。



同じ人種、同じ顔つきや姿勢などをしているだけで、同じ考えや判断を下すわけではない。



ひとそれぞれであるから、同じであることは決してない。



しかしながら、相違、似ているところはあるのである。



その似ていることや、正しい、と判断される基準も、またひとそれぞれではあるが



人間の基本原則も再確認することで、すべてがある程度納得できるレベルになる。



見えないこころ、愛を表す。



声かけは、相手に勇氣を与える。



心懸けや配慮は、相手を安心させることができる。



そして、何より愛情ある姿勢は、あなたを魅力的にみせる。



素直に何事も受け入れる度量を


わたくしも持ち合わせたい。。。それを目指す。



感謝



2011年4月23日土曜日

謙虚な姿勢


まだまだ修行中ではあるが、ひとの変化を見抜く力というのは


自らの能力の中で、高いと自分で感じ、そしてそれを鍛えるために


様々な人々の状況や言葉づかい、態度などを観察し続けている。



すると、メールをしてくる相手であったとしても、みえない相手であったとしても


ちょっとした変化に氣づくことがある。


その時に、戦略的にその部分にはふれずに、普通に回答する場合もある。



何事も先に先に先に読んで、ひとよりも先にというよりも


向き合う相手の深層心理、こころで何事も読むことを習慣にしていると


早い内から、リスクを感じ取ることができる。


これもひとえに、わたくしと取り巻く諸先輩方々から学んだこと。


わたくしの経験をひとに話すと、みな同じようにいうのは


「厳しい」


という。


たしかに、何度となく、こころを痛め、泣き、身体も壊すぐらい悩み


悩んで、いまがある。


苦しい時こそ、厳しいことをいわれた時こそ、


ぐっと我慢して、謙虚な姿勢で聴く努力をすること。


この辛抱がなければ、ひとは成長しないのではないかと思う。


最近、研修でインストラクションしていると


この我慢、辛抱が効かないひとが多くいる。


こちらが人間の本質を活かしたインストラクションを


教える側が、日々の雑談やコミュニケーションを通して


磨かなければ、話が通じない。コミュニケーションができないのである。


ようは、お話しにならないということである。


そもそも思うのは、

「言葉遣い」

これは人それぞれ、受け取り方はあるが


正直,わたくしが感じる所、年代の高い方々の


言葉遣いの悪さが耳にさわる。


厳しくいう場合もあるが、人間きびしいことをいって


成果があがった試しがないので、そのひとに遠回りでも


きづいていただけるまで、待つことにしている。



ただ、本当に、「素直なこころをもったひと」が少なくなったのは


間違いない。


厳しい世の中、氣持ちが想いのも、理解できる。


みんな同じように、こころにおもいものをしょっているのである。


それを共有し、違っているからこそ、コミュニケーションができる。

違っているからこそ、相手を尊重できる。

この姿勢がもっとも、いま必要とされているように思う。


言葉遣い。


いつのまにか、ひとを傷つけているのです。


KEIKO

2011年4月21日木曜日

永久不滅の組織をつくる


営業マン研修・・・という名の


マネジメント教育研修が続いている。


それぞれの企業、メーカーが、何十年、何百年の歴史と企業文化を持っている。


若い社員は戸惑い、中堅社員は研修にいない、働く責任あるリーダー


そして、キャリアをより高めようとするマネジャー。。。


本当に様々な人々が同じ会社であるにもかかわらず


見事に考え方が違うのである。



まず最初は、見えない言葉やこころを見抜くように


努力しながらコミュニケーションをとることではないかと思う。


感謝


KEIKO

2011年4月16日土曜日

打てど!響かぬ・・・


週末の研修後、近くの駅からてくてくと歩いていると



大変素敵な場所を発見! 



いつもその会社の横にある、この場所を通っているにもかかわらず



氣がつかないでいた。 もったいないことをしていたものだ。



なんともいえない広がりのある贅沢な空間。



いいなぁ~とながめ、暫く研修資料を配付し、空になったリモアを横に



たたずんでみていた。




わたくしは研修が終わると、非常に、暗い。



深く深くふかーーーーーーーーーーく、反省タイム。



このことを知っている仲間は、研修が終わると



しばらくわたくしのことをひとりにしてくれる。有り難い。



今日も研修を終えて、自己問答。



1. 受講者の満足度はどうだっただろうか。



2. いいわすれたことは?



3. 研修責任者の想いや、伝えてほしいといわれたことが

   きちんとつたわっただろうか。



4. なにかよろしくなかったことは?



5. どうしたらもっと笑いがとれただろうか。



そして、あのひとは、このひとは、大丈夫であっただろうか。。。



声を個別にかけた方がよかっただろうか。。。



新しい何かを伝えることができただろうか。などなど



約1時間~2時間程度は暗い。


ビジネスパートナーと共に研修を実施させて頂くことも多々ある。 今日もそうであった。 専門家による専門分野のお話し。 自分でも出来るけれど、何か自分があったらと思い 昨年度から、パートナーにやっていただいて、自分がフォロー と人材育成にもチャレンジしている。 しかしながら、顧客からクレーム?が来た! ありがたいお話しである。 わたくしのお客様は非常にわがままである。 柔軟にできるだけ、できる限り、わたくしは対応させて頂いており ビジネスパートナーにもそれは徹底していた。 しかしながら、、、、そういうこともある。 なぜなら、、、氣にしていたことが、実際におきてしまったからである。 まだまだ講師としては未熟とわたくしはみているが ビジネス経験豊富であり、ベテランといわれるひとであり なおかつ、わたくしよりも人生の経験も!ある方。 わたくしが「未熟」と思うのは、”自己反省する謙虚さがみられない” 場合にそのような表現をする。わたくしにみられないように ひとに自分の悩んでいる姿やおこった姿などをみせないことも 理解はできるが、「有り難い。挨拶!」ということが わたくしに伝わらないのである。又、今回は顧客とのコミュニケーションの中で 挨拶が足りない。  みごとに、わたくしに似て?顧客も、挨拶にはうるさい。 当たり前であるが、ついつい前に立って、先生,先生なんて いわれ続けていると、えらくなった氣分になり、挨拶がなくなる。 わたくしのまわりには、素晴らしい先生方々がいる。 そんな先生方々に囲まれているわたくしは、いつもいつも 頭をたれて、感謝、感激,そして学び続ける大切さという姿勢を まのあたりにさせて頂ける機会がおそらく、かなり多いほうであり 恵まれているかとは思う。 とはいえ、いくらそのような環境にいたとしても 氣がつかないのであれば、 正直,なにもその人に学びはない。 いいや、、、もう、、、、というのは年長の方でも 仕事をして多少なりにもお金をいただくのであれば プロフェッショナルで会ってほしい。 プロとしてやるべきことをやっている。 それは当たり前! では、どうすることが。。。 「期待以上のことをすること!」 これである。 常に期待以上のことをするためには 研修の場で会っても、油断せずに、受講者の反応をみて 状況変革をおこせるだけのスキルと能力をもって まえにたつ準備をして、やらねばならぬ。 クレームについて、瞬間的に,きづつけないように リフレ-ミングしてから話をした。 電話ごしであったが、クレームをひとしきりきいて 「講師交代も考える」のようなニュアンスのことを話をしたら 「それでもいいですよ」と仕事を投げようとした。 どーーーーーした。 恐らく、同様したのであろうかと思う。 きずつかない人間なんて、わたくしはいないと思う。 人間はきずつけてはいけないのである。 こころに傷を負わせたら、回復するまでに 時間がかかってしまう。 そのように成らないように、適度な危機管理能力を鍛えること。 ありがたい。何か言われたら、有り難いとおもうようにしている。 もちろん、酷くひどくきずつけられたこともあるが それも有り難いと思うようにすると共に反省し そして わたくしは、その方と関わらないように努力する。 なぜなら、何度となく、いっても、何度となくお話ししても 理解をしようとする努力もせず、 自分の意見のみが正しいと思い、押しつけてくるが その自分のおしつけにさえも氣がつかない なんとも残念なひとがいる。 きっと これまでに、なんらかしらの失敗をしても わらって許して!で きてしまったひとではないかと思う。 一度深く深く深く深く 自己を見つめ直し、残りの人生あたらしく 関わってほしいと思う。 人間はいつでも かわることができる。 わたくしはそう思っている。 意識を集中するだけで、人間は、無になり エネルギーを十分になにかあることに集中できるものである。 なんかいいってもだめな場合は あと100回位いってやろうとおもう。 自分のきづつけられない程度に。。。 なぜなら、わたくしも人間だからである。 KEIKO

2011年4月12日火曜日

ことばの痲酔

きれい~~~ 歩いていると、あちこちから聞こえてくる。 ありがとう ・・・ ごめんなさい ・・・ お世話になっております。 ・・・ 痛くない、痛くない、痛くない、、、、 ちちんぷいぷい、ちちんぷいぷい、痛くない、痛くない 子供のケガにそういう言葉を聞くことはいまはできない。 わたくしたちの年代までであろうか。。。 田舎育ちのわたくしは、行き交う、おじいちゃん、おばあちゃん おばちゃん、おじちゃん、などから、「おまじない」ということを 自然に身に着けていった。 おまじない。 まじない。 それは、なにかよろしくない出来事を未然に防ぐ場合に出てくるものだろうか。 『あなたなら、出来る。』 『期待しているよ。』 『お任せしていますから。』 『頑張っているね。』 『よろしくお願い致します。』 『いつもありがとうございます。』 片道通行で、何とも悲しいものである。 メールでは、手紙では、上記のように書いていただいていても 面と向かって、お会いしたら、何と!!!!!目もあわせず 声をかけても、無視をして、何と!!!!挨拶しない。 しーーーーーーーーーーーーーんじられない!!! 忙しい!といわれたら、 それで終わりだが、、、 目が合って、そして、声までかけて、聞こえているにもかかわらず!!! 信じられない。 そんなひとの対応から、その人の心根を感じる。 どんなことがあったとしても、わたくしは「挨拶」は。 そう思う。 かえってこなくても、きこえていて、言葉がかえってこなくても わたくしはいい続ける。 言葉の痲酔をかけ続け、相手を引き寄せようじゃないか。 あきらめない。 しかしながら、若干,朝から氣分の悪いものである。 そう氣づかせてくれることが わたくしにとっては有り難い。 自分はそうならないように努力し続けていこうと思う。

2011年4月11日月曜日

ひとつ見直すことで・・・

いま生きていることに 感謝している。 何度か、命を落とすような行為をするぐらい わたくしは自他共にいわれる”ワークホリック”である。 働き過ぎて、、、 様々な身体の異常を経験させて頂いている・・・ まだまだ続く。 本氣で働く! ということは、命をかけて! なぜ?そこまでやるのか? 自分でも正直、わからない。 負けず嫌い。 その言葉だけで、澄ますには、どうも自分ではしっくりこない。 わたくしのまわりには、勉強家が多いと思う。 自分でももしかしたら、引き寄せているのかも知れない。 大分、わたくしも歳月を重ねてくると、自らの行動をひとつひとつ 見直す、ゆとりができてくる。 ひとつ、自分の行動を見直すことで 生きることができる。 おおげさかもしれないが、「健康」に生きることができる。 好きな仕事も、遊びも、そして、自分の好きな時間も すべて自分次第であり、自分の行動を、みずからがコントロールすることで 少し健康に近づく。 今年もまたこの4月という時期がきた。 新しい風と共に,研修のスタートである。 連続してマネジメント教育が続く。 このところの余震、度重なる母の手術&介護そして、自らに期待して 下さっている方々への研修。 期待に応えようと準備に準備をかさねていると 人間のすべての欲と言う物が、わたくしの思考から飛んでしまう。 すると、ひごろ何かしらをするときには、すべての意味合いを考える癖があるわたくしは その思考がなくなると、体調が崩れる。その痛みを抱えながら研修を乗り越えられた。 ちらしていた盲腸がうずき出し、正直、立っていることも辛かった。 なんとか終えることができた。 実は、コンサルティング研修をしているわたくしたちは 研修が終わった後からが、本当のスタートでもある。 そして、研修をきっかけに、受講者の方々の行動変革が少しでも おきることが、わたくしたちの成果でもある。 成果に責任を持つために,わたくしたちは、長期の仕事 ながくお付き合いできると思われる企業様しかお付き合いすることができない。 おそいわけではなく、今、この時代は、スピード感がもっとも必要であるからこそ 「いま必要と思われるマネジメントの情報を最新の情報と方法 そして、状況にあわせて出来るだけ絞り込んで送り届けるようにしている」 毎回、ひとの前にたたせて頂いて思うこと。 それは 「人間は生きると言うことを実感するために ひとと関わり合い、幸せを追い求める行為を自然とするのだ」と言うこと。 まだまだ実戦は続くが、できる限り、ひとりひとりの状況にあった マネジメント研修ができれば、わたくしたちはこの上ない幸せである。 ひとつ、行動や言動を見直すことで ひとつまた成長が出来、できたという自信が、成長につながり 成果を出すことができると思う。 リーダー、マネジメントは、命をかけて成果を出すこと。 それにつきるとわたくしは思う。 元氣にエネルギーを溜め込んで、次の出会いに向き合いたい。 感謝 Kei

2011年4月2日土曜日

晴れた日は・・・

晴れた日、氣分も晴れやかになるように感じる。 このところ余震のせいか、眠れない。。。そんな日が続いていると 風邪をひいてしまう。 花粉症になったのかしら???とあわてたが。。。病院にいったら・ 風邪とのこと。 熱がでて、くらくらしていると、余震と同じになり、よくわからない。 病院の帰り、とても道が綺麗にみえた。 光りがさし、何事もないような感じさえもする。 そんなことは決してないが、何か違う雰囲気になるのは・・・ 太陽を一杯感じることができるからだろう。 生きていることに、心から感謝している。 今を大事に,いままで以上に 『一隅を照らすことができる人財』になりたいと思う。 感謝 KEIKO