2011年9月28日水曜日

いつもご訪問ありがとうございます。


感謝。


馴染みの東京タワーが元のオレンジ色に戻った。


秋だぁ~


そう感じる今日この頃・・・


昨夜まで風邪で高熱で夜になると・・・寝込んでいた。


今日はその後遺症であろうか、喉が痛い。


昼間は何とか勢いで立って人前で話をしているが、なかなか体も正直で


夕方になるとエネルギーダウン。


毎日同じように東京タワーをみて、今日の無事を確認し


嬉しくなる。


自分の家から見える素晴らしい景色である。


この景色をみると、本当に、疲れが吹っ飛ぶのである。


喉の痛みもひくかということ、そうでもないが


大分よくなり、本日もできるだけ早めにお休みさせて頂き。。。


明日には全快したいと思う。


なにより、節電ムードで東京タワーもライトアップが消えてしまい


こころまでゆーつになりそうであったが、これで大丈夫であろう。


読書の秋・・・


最高!


今日も一日に感謝。


Keiko

2011年9月22日木曜日

創意工夫



見つけた!



朝早く出かけてバスの中から・・・あるものを発見!



聞いてはいたが・・・本物を間近でみたのは



始めて! ヘリコプター♪



わたくしは体が小さいせいか、高いところが大好きである。



東京タワーをみれば、、、一番てっぺんまで登る。



遊園地にいって、フリーフォールというたかーーくまで



いっきにのぼる乗り物も、大好きで、それよりも高く登れないか考えるぐらい。



そして、ジェットコースターも、バンジーも。。。空高く。。。



いままで、もっとも爽快なのりものは、グアムでのった



なんというかは忘れたが、天高く、ボードが引き上げて



ただただ、たかくなんにもさえぎるものもなく



そらたかく、たこのようになった氣分で、天高くのぼったこと。



あの時の爽快さはいまでも忘れてはいない。



10分程度ではあったが、いっきに日焼けをして



まっしろな肌が、赤くなったことも記憶に新しい。



この始めて見るヘリコプター。。。赤。。。



いやー乗ってみたいと思ったが、警察のお世話になるのは



いやなので。。。何かの機会に、べつのヘリコプターにのりたいと思う。



実は四ッ谷警察署は、わたくしにとっては鬼門の場所。



なぜなら、始めて東京にきて、英語の専門学校を探しているときに



四ッ谷警察署の前で、ゆずった車にぶつけられて



警官に・・・「ゆずったのに、たいへんだったね」といわれたこと。



そして、2回目も、道をゆずったが、、、また、車をぶつけられた。



それからというもの、できるだけ、東京都内で車を運転するときは



四ッ谷近辺にはちかづかない。。。トラウマというものである。



なんとも恰幅よく、強面の警察官がいつも警察署の前に立っている。



話しかけると、その顔が、満面の笑顔になる



このなんともいえない変化がとても嬉しく、安心させる。



やはり、明るい笑顔は最高!である。



感謝



2011年9月18日日曜日

感謝




敬老の日を明日に迎えるなか、近所でいつもいつもエールを贈って下さる


おばさまに『五目寿司』のプレゼント♪ 


届けに行く途中で、御神輿に遭遇、、、おおおおっと凄い!



港区は本当にお祭り、御輿が多い。坂も多い。寺も多い。



案外、、、下町のような感じがあるのは、住んだものでしかわからないように思う。



それまでは、違っていた。




さて、朝から作って、おばさまの昼に間に合うように、




自分としては美味しく五目寿司など・・・出来たように思う。


あまり近所づきあいはしないのだが、いつもいつも


普通に挨拶していたら、ご近所のお裾分けが始まった。


長いもので・・・とはいいたいが、そうではない。


とはいえ、はやいもので4年目になる。


とても87歳とはおもえないほど、元氣であり


明るく、はつらつとしている。


様々な諸事情などがあるようではあるが、いつもそのおばさんは


明るく、笑顔で、エールをおくってくれる。


毎日食事をつくるわたくしに、おかずのたしになるようにと


いろいろと下さる。


味付けがまったくちがっていたが、3ねんもの間、なんどか


お裾分けお裾分けしていたら、味が段々、似通ってきたように思う。


いつもそのおばさまの口癖は


『だまされないように。がんばるんだよ。』


という。


何度か仕事をしていて、だまされたことがある。


そんなことは一度もいったことはないのですが、わたくしが


仕事に肩を落としていく姿や、家の下で泣いていたのを


何度かみたことがあることを、母に話していたようである。


つい最近、母から聞いた。


ひとはどこでみられているか判らない。。。


ドキッとしたが、それにエールを下さる。


有り難い事である。


五目寿司を持っていったら、とても喜んでくれた。


実は、彼女は、彼女のお姉様の面倒をみている。


3食つくって、同じマンションに引っ越しをさせて


面倒をみている。


わたくしと同じように、食事の支度にいつも悩むようである。


おばさんのつくる美味しい手料理にはおよびもつかないが


感謝の意は一杯いれて美味しく作ったつもり。


届くと良いなと思う。この想い。


感謝


Keiko

2011年9月15日木曜日

新しい発想と展開



いつもと同じ道をいつもと同じように歩く。



そんなことはできない。



なぜなら、



日々変化してこそ、本質であるからである。



見方や感じ方、そして、捉え方。



その時の自分自身の状況で変わってくるのである。



しかしながら、普遍的に変わってはならないこと。。。



それは、「正しく現実をみる」こと。



ひとつ自分で決めたことを、何が何でも続けてみる。



そこから何か見つけ出すことができる。



決めたことを安易に変えること。



これでは、結果はすぐには出ない。



そう思う。



感謝



2011年9月13日火曜日

一山を越えて



6年に一度の○○満月であった昨夜から、9月13日の今日は私に取っては



大事な日。 仕事を一段落させてから、病院へ行った。



大分良くなった感じというか、落ち着いた感じである。



しかしながら、わたくしが来ると寄り添うようにして離れようとしない。



何かを感じながらも、好きな食べ物などを手にして



一緒に一時を過ごした。



帰り道、少し辛くなった。



病を持った人間が側にいるというのは、自らの代わりに



病をしょって下さっている様にも最近感じるようになったからである。



ならば、動くのが不自由なひとのために、そのひとの代わりに



わたくしが明るく、元氣にワクワクと笑顔で挨拶して



過ごしていくしかないと思う。



感謝



2011年9月12日月曜日

頼り


天を見上げてみると、青い空と白い雲が、まるで絵で描かれているかのようにみえた。


介護生活にも慣れてはいるが、本当に、物を壊されることが多く


悲しくなることがある。


やっと・・・


ガチャーン


あーーーーーーーーーーーーーー


ごめんなさい。


この繰り返し。


やめてくれと頼んでも、何かしらやろうと試みてくれる母。


なんどかとめても、ダメである。


何度お願いしても、ダメである。


計画して、やっと、、、と思っても、、、また壊れる。


そんなときは


「形ある物壊れる。。。」


念じるように心に刻み込んで、怒らないように怒らないように


ぐっと我慢する。


しかしながら、記念のものや、かわりがきかないしろものも


壊されてしまう場合、なくされてしまう場合があり


辛くなる。


そんな時は、また、念じるように、


「形ある物、いつかは壊れる」


何度いってもだめなものは、きっと「頼りにされているからだ」と


思うようにして、あらたに揃える努力を始めるように計画する。


まだまだまだまだ


わたくしの介護の戦いは続く・・・


感謝


Keiko

2011年9月7日水曜日

成長して頂けるように。

バスを待っていると、目の前に、仲良く並んで3本の木が並んでいた。


その後ろにも、そのまた後ろにも木が茂っているのを感じながら


緑豊かな自然に、こころ癒されていた。


「待つ」という


この間に、音楽をきいたり、オーディオブックなどを聴いて


こころを落ち着かせて、次なる戦地に向かう。


先日まで行われていた「世界陸上-テグ」


そのなかでも、プロのアスリート達は移動の時に


音楽を聴いたりして、


「集中力」


を高めていた。 


一瞬に向けての準備である。


これまでの努力が、たった一瞬で終わってしまう。


勝か負けるか。グレーはないのである。


成長するうえで、


人間は、


なんらかしらの形で、節目をつけている。


目標とでもいえるだろうか。。。




人生は短く、


瞬間を大切に


勝負をかけていきたい


そう思っている。


人間関係、経営、生きていくことに日々成長するのには


終わりはないが、、、


目標をたてる上でも、節目をつけるうえでも


そこに信念があるかどうかではないかと思う。


この信念を常に自分で言い聞かせ、言動一致になるよう


わたくしなりに努力し続けている。


しかしながら、成長しているという実感や、ことなかれ主義


そして、きづいていても、きづかないふりをしているひとを相手に


する場合は、この信念は邪魔にもなる。


信念をぶつけることはしていないが、おそらく、そのようにも


みえるのであろう。また、そのわたくしの信念をしることで


自分のポジションや、自分の過ちにきづき、


毒という形で、よろしくない態度や、言動などになろうかと思う。


そのようなひととあうと、自らを振り返ると共に


深く反省し、こころを痛める。


わたくしの信念、、、


それは「自分と関わった方々すべてが、幸せに成長


して頂けること」


その成長した姿をみたい。


その元氣に成長されたすがたをみて


自らも幸福を感じている。


感謝。


Keiko

2011年9月3日土曜日

危機管理能力




熱が下がらない・・・



考え抜いたり、心痛めることがあったり



自分では創造がつかないような礼儀知らずのひとに遭遇すると



体調が悪くなる。無理にあわせようとするからである。



近くの病院にいった。



女医さんのA氏は、微笑みながら



「少しのんびりしてみたら?」という。



10年位のおつきあいであるが、風邪の時にしか行かない。。。



風邪のおかかいドクター。



かかりつけの病院の先生は土曜日ともありお休み。



A病院は土曜日もあいている、非常にありがたい病院である。



なにかあるまえに、必ずいく病院でもある。



「風邪は万病のもと」



のとおり、風邪かな?と思うと、すぐにその病院に駆け込む。



今回もそのようなかんじ。



その帰り、ゆっくりと散歩をしながらいろいろと



考えてみた。




危機の本質というのは・・・




「変革が進まない」



ということではない。



『変革が進まないことを危機と感じない』



その意識ではないかと思う。



危機管理を高めて、日々精進している。



しかしながら、その本質をいくらいっても



危機を危機と感じていないひとにいくらいっても



わたくしの行為がばかげて見えてくる。



しまいには、、、誤解される。



最悪である。



いま、この世の中、暮らし難い。




感謝




基本の大切さを痛感



最低限の配慮ができないひとが



最近多すぎる。



わたくしのまわりだけだろうか。。。と思い、こころを痛め



頭を悩ませ,苦しんだ結果、師に相談にいった。



すると、恩師も同じように



おっしゃられた。



涙がでた。




怒らない前に、きちんとマネージするのが



責任者の役割であるかと思う。



それに何より、学習というよりも。。。



基本的な挨拶が、教える側にできていない。



躾もできていない。



みせかけの配慮は、わかるひとにはわかるのである。



非常に心が痛む。



自分勝手なルールで客をもてなすのは



正直よろしくないと思う。




自分が受け入れたくない客であったとしても



客は客であり、その客人に対して、最後に不快にして



帰す必要はないかと思う。



それは、二度と会いたくないというメッセージであると



わたくしは受け止める。



とはいえ、、、



最低限の配慮ができないひとが最近多すぎる。



・ 客の目をみて離すことができない


・ 客より先に食事を食べる


・ 客よりも先に水をのみ、客にわたさない


・ 客より先に帰ろうとする


・ 客のいる前で予定を平気で話す


・ 客より先にすわり、動かない


などなど・・・いいだしたらきりがない。



食事をさせて、送り迎えをしさえすれば



やることはやったということにも見えるが



その場で、上記のようなことで、、、



こころがいたい。



このような配慮をうけたとしても、わたくしは



きちんと挨拶し、最後まで笑顔で帰らせて頂いたと思う。



苦しかった。



その場を離れたあと、また涙がでた。



最悪である。



不快にされたとしても、わたくしはやることはやる。



自分も厳しく躾をされたものとして



「挨拶」「配慮」ができないというのは



こころを痛めて教えた親、師、そして、教えて下さった方々の



期待を裏切ることになろうかと思う。



さあ、、、指導するものとして



どのようにして、上記の方を、指導しようか。



週末いろいろと深く、深く



考え抜いてみたいと思う。