2011年3月31日木曜日

感性を磨く

いきなりだが・・・不謹慎かもしれないが・・・ 夢を持つこと! 冒険心を持つこと! どんなことがしたい、こんなことがしたい、そして、無理かも知れないが やってみたいこと!こんなことをたくさん考えている。 辛く厳しくそして悲しい出来事を耳にしていると こころが寂しくなり、また、同じ日本国民の方々が 一瞬にして、そのかたがもつ思い出の品々をさらっていく様をみていると 涙がでてくる。 どういう訳か、あーーーーーーーーーと声まで出してしまう。 人間というのは、本当に目でみて、学習するものだと思う。 人間は5感で思考している上に、その五感を通じて、自立し 大地にたっている。 ぼんやりと道を歩く。 こうしたい、ああしたいをみつけることをやってみる。 道路にうつる電線をみながら、だれかの陰になりたいと思う。 感謝 Keiko

2011年3月30日水曜日

世の中が変わってきた

最近、日本にいる人の動きが変わってきたように思う。 『人に対する思いやり』ある行動をできるだけ ”自分のできる範囲で、できるだけ配慮している”感じがある。 身勝手な人がいなくなったようにも感じられる。 とはいえ、ある部分については、止まない雨はないという精神で 我慢強く生きるのはあたりまえ・・・のような感じのひともいるが 私たちが人間として生かされている此の社会にできること。 ひとりひとりが自分のできる範囲で 自分にしかできない何かをすることが生きていく上での 使命のような氣がする。 色々なところで,今回の東日本の地震そして原発について語られている。 介護でどうしても離れられないわたくしは、友人に色々と託す。 支援物資など、都内にないものは関西からも取り寄せる。 そして、お送りする。 少しでも届けられることが嬉しいと思うと共に 母の病気も日増しに悪化しているのが判る。 余震の続く中、自分の精神を強く持てる体力をつけなければ ならないと改めて痛感している。 世の中のひとも変わってきた。自分も変わる。 時代も文化も変わる。 いまいちど、みんなで顔晴る時であるかと思う。 感謝 Keiko

2011年3月29日火曜日

前を向いて・・・


マネジメントの会議に出席した後、電車をおりて、外を歩きたく成った。



今回の例をみない地震や原発がおきてからというもの



「わたくしは何のためにいきているのか?」



と、自分自身に問いかけることが



いつもよりも頻繁に考え抜く事が多い。



なかなか自分の納得した回答がでてはいないが



いまこの瞬間の為に


生きる。



そして、一瞬にして、本意ではなく



命を落とされた人々の想いも感じながら



健康に生き抜いてみたいと思う。



これからも、何度も何度も



「わたくしは何のために、いかされているのか?」


ということを説いていきたいと思う。



自分にしか出来ないこと。



それは、辛い時にも



「笑顔で!」という小さい頃から習慣化された



前向きな姿勢であると思う。



ひとりあるいていると、ひとりぼっちのような氣がする。



しかしながら、少し深く耳を澄ませたりして、何かを感じ取ろうとすると



何かしらを掴むことができる。




自分の力を信じて、これからも



天に向かっておおおおおおおきく



羽ばたいてみたい。




同じくして生まれた方々のためにも



できることをコツコツと目でみえる形で



思いやりある行動をし続けたいと思う。




感謝




2011年3月27日日曜日

お見舞い


謹んで災害のお見舞いを申し上げます。
時がたつにつれ判明する各地の被害の大きさに、言葉もなく
大変心を痛めております。
今は、みなさまやご家族様のご無事を一心にお祈りするばかりです。
寒暖の差が激しい時期でもあります。 心労もおありのことと存じます。
くれぐれもおからだご自愛くださいませ。
この3月の時期になると、様々な企業が人事異動をはじめる。
2011年新人をむかえるだけではなく、4月という卯月(うづき)はいつも
とは違う、新しい慌ただしさがある。
今年は通年に比べ、大きく人事異動があったように感じられる。
2010年問題からはじまり、団塊世代の交代、グローバル化が急がれる
わが国日本国は、階層といわれる組織力を高めるためにあったヒエラルキーが
グローバル化により急にフラット化されることを余儀なくされ、それによる
『自己責任範囲の囲い込み』が相次いで企業内におこるとともに
それによる
”次世代リーダー育成”
後継者が育たない環境をこの2010年~約10年間でつくりあげてしまった。
そんな中、急に囲い込まれて、ほんのりとお仕事をされていた方々が
いっきに異動された。 いきなりぬるま湯の中から、なにもない冷たい荒れ地に
放たれた。 もちろん、モチベーションは下がる。
そして、そのことを上司であるひとも責任を感じている。
しかしながら、その上司だけが何もおこらなかったかのように、暖かい場所にいる。
くちだけでは責任を感じて、残されたからには・・・という。
何十年間もそこにいたにも関わらず、なにもしてこなかったとはいわないが
何回か、それを感じるような出来事、そう、今回のような地雷的人事異動がおこる
機雷は彼のキャリアをもってしたら、感じていたのであろう。
何も手を打たなかった。
それが、わたくしはおなじくビジネスパースンとして、同じ年代ではないが
腹立たしく思う。 
成果主義導入により、各企業が『プロセス重視』をかかげた為に
”参加することに意義がある!”
のみに焦点があたり、そのため、
日本人が得意とする
”創意工夫”
の精神が、薄れてしまった。


プロセスがきちんとされていなければ、もちろん、結果や成果にあらわれてくるはずもない。
しかしながら、結果、成果があらわれないプロセスは
正しい成果プロセスではなく、ただの行動である。
何事も,戦略をもって
やる必要性があるかと思う。
なぜなら、時は金なり。
あっというまに過ぎていくのである。
このことを、時間的な流れがのんびりしている企業は
忘れがちである。
”何事もいっぽづつ”
とても大事なことではあるが、遅すぎるのはよろしくない。
なにより、この状況下におかれても、その上司は
自分の行動を反省していない。
自分の心の状態を分析することができていない。
わたくしはそのことが非常に心配であり、声をかけたが
わからない。。。
しばらく、だまって頂くようにしたいものである。
今後のマネジメントにおける
最大の課題は”自己を高める、強くなる”
このマネジメントではないかと思う。
自己の行動を深く反省し、見直し,そして謙虚にそれを受け入れる努力が必要。
最終的には誰も助けてはくれないのだから。
だからこそ、日頃からの挨拶、コミュニケーションが大事なのである。
感謝

2011年3月23日水曜日

sakuragoyomi


がらんとした道。
普段ならばあり得ないわが通勤道路。
未だユラユラと揺れ動く、東京都内の余震。
高層ビルが建ち並び、高層マンションがわが街。
報道こそされてはいないが、高層マンションの7階以上の被害も
実のところかなりのものである。
その為、おこる、防犯ぶつの買いだめ。
許されないかもしれないが、そのような状況にいたる氣持ちがわかる。
わが家は、介護を必要としている人間がいる。
また港区という所には、多くの病院があり、またわたくしたちと同じように
多くの老人,介護を必要としている人々が実はたくさんいるのである。
このところの高層マンションはかなり揺れることで、安定感をキープできている。
家にいることがいいとみんな理解している。
港区はまだ電気などの計画停電はないが、もしも実施したら
大変なことになるかと予想しただけれでも怖い。
しかしながら、港区のひとびとは、皆、人ぞれぞれに計画停電らしき
電気の節電をかなり実施している。
夜ともなると普段であれば、素敵なライトアップで
介護でつらい氣持ちも癒してくれるのであるが、今は、まっくら。
昨日も朝,昼とできるだけ事務所などにかえり、家に戻り
また仕事にでかける時に,100段以上ある地下鉄のホームに
おばあさん、おじいさんが、階段でおりている。
何人かのビジネスパースンが手を貸そうとするが
港区のおじいちゃん、おばあちゃんは、
「大丈夫、大丈夫、のんびりいくからいいよ。ありがとう」
とニッコリ笑って、おぼつかない足と杖で、階段を下りていく。
実は地下鉄の南北線,大江戸線はかなり深いところにあり
階段もはんぱなく多い。
せめてエレベーターはおじいちゃん、おばあちゃんのために。
と思ってしまう。
そんな中、sakuraたよりがとどく。
暗い地面に、さくらの花びらがちらほらみえてきた。
さくらいろ。
心ときめくのは、桜ではなく
わたくしたちにほんの一時の癒しを届けてくれる
自然の神様からのプレゼントのような氣がしてならない。
感謝

2011年3月21日月曜日

生み出す



都内はいま物がない。
被災地のことを思えばこそ、我慢はできるが、介護には必要なものがある。
最低限にさせていただいているが、本当にものがない。
近所から離れて買い出し。
お仕事休みの週末、決まって買い出しにいくが、この買い出しも
このところできない為、お仕事帰りに、スーパーやコンビニにいってもない。
被災地には何とか渋谷の奥地のお店で、色々とまわり集めておくることが出来た。
その時、一緒に自宅の分も買ったが、結局,被災地におくるわたくしをみて
母が、わたくしの分もいれなさい。。。ということで、おむつを送る。
そうすると、自分たちのものがない。
そして今日も歩いた。バスに乗る、電車にのるのが、非常に怖い。
歩いて、タクシー乗ったりして、現地につく。
やはりない。。。
毎食後、薬を10個以上の飲まないと命の危険性がある。
その薬を空腹に飲むのは正直あぶない。
毎朝のヨーグルトがない。まったくない。
どうしたものか?
いよいよヨーグルトの菌を買って
自分で育てるしかないのだろうか。。。とマジに考えている。
そんなイライラした中、ふとした道の神社に「さくら」が笑っていた。
あーーーと、とてもおだやかな氣持ちになった。
有り難い。
日本は本当にふとしたところに
おだやかにさせる何かがある。
この桜をみながら、又、なんとか生きようと思う。
いま生きていられることも感謝。

2011年3月19日土曜日

壊れていく


3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖大地震につきまして、
みなさまのご無事を心よりお祈り申し上げます。

また、被災された方々へ謹んでお見舞いを申し上げるとともに
一刻も早い被災地の復旧そして復興を祈念いたします。

そして、未だ余震などに悩まされていらっしゃる
方々が少しでも元氣に安全に暮らせる世の中をわたくしたちみんなで
創り上げていきたいですよね。





久しぶりの晴れ。 








太陽の日差しのお陰で、陰ができる。








この陰をおっかけたことがある。








楽しそうな笑え声、ひとのかけ走る音、ビューと自分の耳のよこを走り抜ける








自転車の音。様々な音をキャッチして、風をほほに感じながら歩く。








休日の日課ではあるが、災害から余震が続くため、氣分的に憂鬱な日が続。


精神を安定させるために,ipodを耳にすきな音楽を聴きながら


歩く。。。 地震予報など、情報をキャッチしながら歩くことも大事かと思ったが


お打ち合わせからお打ち合わせの移動中、家を一歩でたら、ビジネスにスイッチオン!


顧客から与えられた課題、課題を解決させるための革新的なアイディア


そして、なによりスピード感ある行動は、自らの成功を引き寄せると、当たり前のことではあるが


考え抜く習慣がついているためか、考える時間をできるだけ多くすること


たくさんの情報を吸収するなども大事な時間の使い方。


その使い方はできるだけ、透き間の時間を有効にいれることはとても


大切な事。


会社から帰ると動けない母がまっている。


丁度災害の前の日に眼の手術をした為、動けない。


病院に入院させると、看護婦さんに氣を使って,ナースコール=わたくしの携帯


かえってわたくしが忙しくなるため、今年からできるだけ側にいれるのであれば


自らみるようにしている。 眼がみえないとものを壊す。段々ものが壊れていく。


自分の家の中で、ものが壊れていく。身近でものがドンドン、ガラガラ、パリーンと


割れていく。 


大分フローリングの上に厚い絨毯をひくなどしているが、そうすることで


杖をついた母は歩きにくくなり、母はイライラする。すると、脳梗塞でもあるため


左手が不自由なのだがリハビリといってできるだけ、自分でなんでもやりたがるが


ぎゃくに、また物が壊れる。。。


すべてぷらっシックやシリコンにしたくなるが


それはやめて、できるだけ、こわれてもガラスにする。


なぜなら、すきなものに囲まれて、日頃使って、使いこなす。



このところの余震で家の中はゆらゆらゆれ、壊れる音とで


苦しくもなるが、常に思い出すのは、常に思うのh


被災にあわれていらっしゃる方々の様子。。。



我が家のまわりもテッシュペーパー、お米、牛乳、そしてカイロなど


物資がない。 おむつもない。 被害にあわれていらっしゃる方々に


何かできないかとお金だけではなく、すぐ使える物を、買い出しに昨日


東京都内をバスで回って、大きなバックの中にたくさん買って


山梨の友人のところに送った。



東京に物がないのは、このところの高層マンションにおける災害。


東北の方々とは違うが、ハンパナク揺れる。そして、今回の災害でものがたくさん壊れた。


このことは報道されていないが、そのせいかで、高層にすむ人々が


買い出しにでる。



人間はいつもとちがう行動にうつるには


なにかの


理由があるんです。



壊れるのがものだけではなく、こころまでも壊れていくことだけは


できるだけ早めにまずは自分でセルフコントロールするすべをしり


トラストを安定させたいと思う。






Keiko

2011年3月16日水曜日

街の灯りが消えていく・・・

いつも応援ありがとうございます。


東京タワーの灯りが消えた・・・


わたくしたちに出来る事を、ひとり一人がやってみる。


少しだけでいい、あなたに出来る事、小さな行動を実行にうつす
勇氣をもってほしい。そして勇氣の持てることに対して
自信を持ってほしい。


「東日本大地震」において、
お亡くなりになくなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

東北地方では、昨日から雪が降り出したのを観て
更に辛さを感じた。 同時に,この惨事の中、新しい命がうまれている。

一人でも多くの方々の人命が救われることを切に願っています。

そして、こんな時だからこそ、
前向きに愛を持って小さな実行ができること。。。

大事であると考えています。


東京の街を歩いても、行き交う人々に何とも言えない緊張感が
つたわってくる。肩が固まっているような、身体が硬直している。

わたくしもその一人ではあるが
できるだけ、そんな時だからこそ,精いっぱいやれることは
やってみようと思う。

大阪に出張に行こう!

そう決めて駅にいったが、第六感が許さなかった。
何か危ない・・・そんな予感。

お約束させて頂いた方に平謝りしながら電話をかけた。

何とも優しい声で「無理せんでいいよ!」と
いって下さった。

有り難い・・・

同時に申し訳ない。。。一歩踏み出す勇氣がなかった。


深く反省しながら、家路につくと、母が倒れていた。

あーーーといって近づいてみると

薬を取ろうとして、倒れたらしい。


毎日、4回。朝16錠、昼10錠、夕16錠、そして夜5~8錠。

物忘れがないようにと、薬を飲むのを忘れないように
ウィークリーの薬箱をプレゼント。その箱に毎週、たくさんの薬をわけていた。
それが母の日課。


みていると手伝いたくなるが、母はかたくなに「リハビリ」といって
手助けを拒む。

昨日、眼に注射をいれて、眼帯しながら・・・薬を服用しようと箱を開けたら。。。
箱がひっくりかえって、薬がごちゃごちゃ・・・これは大変。。。
手助けしようとすると、また拒む。

ちょっぴりきつくいったら、泣いてしまった。
母はわたくしに少しでも面倒をかけないように
いつもいつも小さな努力をしている。

なんだかんだいって、今日は、全ての薬をしわけして
ウィークリー薬箱にたくさんの種類の薬をわけた。

最近、らんしと老眼がひどくなった私に取っては
虫眼鏡の世界。

結構なリハビリであった。


必死で作って、せっかくだから、箱もかわいくしようと
ラインストーンでかわいくデコレ。

母は喜んだが、同時に、ユラユラ揺れた。

もしも災害にあって、この薬がなかったら。。。

と思っていたら、丁度テレビの中でも被災地の方々の薬のことが
報道されていた。


今の母はこの薬がなくなったら、命が危ない。

用心しておこう。

しかしながら、拒む母を説得するのは難しい。
チャレンジしてみた。


すると、本当に辛かったのだろう。

「敬子ちゃん、よろしく・・・」

と大変喜んでくれた。


いつまで続くか判らないが,まずはかわいくデコレーションした薬箱。

明日のむ分の薬はまた可愛らしい薬箱にわけて。

週末、何日か分の薬を作ろう。


そう、わたくしも、小さな勇氣で
頑固な母に向かっていってみた。


街のあかりも寂しくなり、わたくしたちならではの応援。

出来るだけ早く寝よう!


そして

朝、その分、早く起きて!

朝の太陽の光で勉強しよう!


こうして生きていられることに

今、こころから感謝している。


生きている事。

それだけでキセキ。


敬子

2011年3月14日月曜日

祈る




この度の地震により被害された皆様方にこころより
お見舞い申し上げます。

余震が続いておりますので、
どうぞお氣をつけ下さいませ。

東京都の方も,被害された皆様方いらっしゃいます。
互いに歩み寄り、共にこの試練を乗り越えて参りましょう。

がらんとした銀座の交差点。
午前11時にお約束させて頂いた銀座でのお打ち合わせに
朝9時に家を出た。 いつもよりも2時間近く前にでて
混雑をさけようとおもったら逆であった。
何とか午前11時に間に合い、お話し合いをさせて頂いたあとの帰り道。
がらりとしている銀座。
行き交う人々の顔もどこかしら強張っているように思える。
本当は神戸までお打ち合わせにいく予定としていたが
実家に帰った時に、この地震に遭遇し,自宅待機命令が会社からでて
東京にいた。 神戸の地震のお話しになり、心情が重なり涙ぐんでいらした。
こころが痛む。
何もできない自分に涙が自然とでてくる。
何か自分にできないかと、色々とやってみる。
今日一日だけで、様々な団体からの募金サイトメールが
10件届いた。 この時、だけではなく、日頃から募金しているものとしては
なんとなく嫌気がさす。
しかしながら、やらないより、いわないよりはいいと思う。
自然災害が生きていく上で対処のしようが難しいと思う。
水の災害を3回しか経験していないが、水の怖さ、自然のこわさ
そしてなによりも人間のもろさを小さいうちから身に染みて経験させて頂ける
環境にいたわたくしは、それからというもの、いつもいつもできる範囲で募金している。
もちろん、募金の為に、道路に立って呼びかけたりするのは
いまでもやっている。その呼びかけにどのようなひとびとが募金してくれるのか?
みていると、本当にさりげなく募金して、声をかけて下さる方もいたり
また、吐き出すように文句をいって、ちゃかすひともいる。
5年前ぐらいだろうか、驚いたことがあった。
新宿駅西口で募金活動をしていたら、その箱ごともっていこうとした人がいた。
浮浪者でもなく、まったくもって、快楽のために使うような身なりの若者が
仲間と話をしていたちょっとしたすきに、箱をもっていこうとした。
よこにいた仲間が、ドロボーとさけんだら、ニカッと笑って、ばかやろーといって
その箱を道路に投げ捨てて逃げていった。
ちょうどその時,横にいた浮浪者が、驚いて、呆然とたっていた。
その時は恵まれない子供への支援金として募金活動をしていたが
その浮浪者の辛そうな顔とみなり。。。正直辛くなった。
その浮浪者は懸命にゴミを拾っていた。
1W立っていたが、1Wともずっと毎日毎日、ゴミを拾っていた。
それでも生活は苦しいようである。ただ、凄いとおもったのは
顔だけはどこかで洗っているのだろう、汚れてはいたが、白いひふの部分もあり
彼なりに清潔にしてゴミを拾っているようであった。
京王プラザでの会合の後、たまたま、その浮浪者が
段ボールを囲んで今日寝る場所を丁寧に作っていた。
本当にみえないようなところであったが、たまたま見つけてしまった。
だれもいなかったのを見計らって、持っていた少しばかりのお金を
紙につつんで彼にわたして、急ぎ足であるいた。
涙がでた。
水害の時,何人ものひとを助けた家族。
いまでも覚えている。母が自分の食べるものをたべず、放流してきた
おなかのすいた人に,自分の分を渡していた姿を。
今回の被災地の映像の中に,食料がとどかず
子供がおなかがすくので、一日おにぎりとおみそしる一杯のみで
なきじゃくる子供に,自分の分を食べずに,夕飯どきに子供に
自分の分を食べさせていた姿をみて、母の姿と重なり
涙がでた。そして、同時に,母つよし。。。と思うと共に
一日も早く、食事だけでも朝晩食べれるようにしてほしい。と願う。
寒いだろう。辛いだろう。苦しいだろう。
そう思うと、同じ人間として、本当に心が傷む。
そして、同時に,自分が出来る事。
彼らの分まで、一日一瞬一瞬を大切に精一杯生きよう!
と誓う。
また深く心から愛をこめて祈る。

2011年3月12日土曜日

ご無事でいらっしゃいますか?

ご無事でいらっしゃいますか?

昨日の大地震、本当に驚きました。

テレビでは各地の被害状況を

夜通し伝え続けていますが、みなさま、お怪我などは

されていらっしゃいませんか? 


昨日は無事に帰宅できましたか?

本当にお疲れ様でした。今後、ご協力できる事は

助け合いたいものです。


ご家族や知人が被害地にいらっしゃる方は

さぞかしご心配の事と存じます。

いまだ、継続した揺れが続いていますので


今後とも十分お気をつけ下さいませ。

被害地の皆様にはお見舞い、そして

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



感謝


水野敬子
090-4844-2215

ご無事をお祈り申し上げます。


普段、我が家の前の道は、正直人通りが少ない。
昨日2011年3月11日、午後2時40分頃だろうか
ぐらぐらーと家がたてへよこへと動いた。
ガラガラと音をたてて、飾り棚のお皿が音をたてて壊れた。
丁度わたくしは書斎からでてきたところで、本棚ももの凄い勢いで
ゆらゆらゆれてはいたが、本の重さで動かない。
ひどい揺れであった。
道にあふれるひと、車。
鈴なりに車が並び、人々も前を向いてまっすぐ歩いている。
まだ安否が判らないひとびとがいるという。
たしかに友人数名が地震震源地におり、電話をしても
メールをしても返事がない。
大丈夫だろうか。
こころからの無事をお祈りしている。
そして、安否を氣づかいご連絡下さった皆々様。
心から力強く、有り難かったです。
感謝

2011年3月10日木曜日

素敵な一年のはじまり。


いくつになっても、わたくしはお誕生は特別な日として


自分なりに素敵な一日にする努力をする。


そして、今回も特別なケーキに囲まれながらバースディ。


e-mail で朝一番に、尊敬しているメンターからの・・・


”お誕生日おめでとう!!!”


感動!感謝!!!感激~~~!!



実は、何回もその言葉を聞きたくて


迷惑極まるが、終日、ひとと人々と会い、お話し合いを重ねる場面での


ご挨拶の代わりに,「今日は誕生日なんです」と


いっていた。 


幼稚ともいわれがちであるが、
自分だけの特別な日と思っている。


自分だけのもの=母、両親がくれた、産んでくださった
スペシャルな日。


毎年,自分の誕生日には、母にプレゼントをしている。
産んで育ててくれてありがとうの氣持ちを込めて。

メールはいくつか来るが、言葉で聞きたいと
勝手に思い。。。



だが・・・残念ながら、言葉をかえしてくださるひとがいない。


なんとも言えない氣持ちになった。


そのかわりに、いわれたことは


「いくつになったんですか~」


「年をとるもんじゃないよね~」


そして


「・・・」


正直、驚いた。 


どうして、、、といってはなんだが、どうして、お誕生日と
いわれたら、

せめて、お誕生日おめでとうとでないのだろうか???

すぅ~と出てくるものではないだろうか。


以前、その方々は、お誕生日の方にお祝いをいって

拒絶などされたのであろうか。



実は反応をみていたのだ。


挨拶。


これから、マネジメントについての習得及び部下育成のための


コーチングなどを研修させて頂く方々。



前途多難・・・


そう思った。


ショック-ーー



あくまで仕事前の挨拶,アイスブレーク。


面談でいきなりお仕事の話をするのもありかと思うが


ビジネスにおいても、まずは挨拶+α アルファが必要であると

わたくしは思っている。


なぜなら、いきなり話をしたら、こころの準備ができていなくて


スムーズな人間関係が構築できないのでは?また、わたくしがみるうえで


これから向き合う方々が、日頃どのようなコミュニケーションを取られているのかを


確認させて頂く、絶好のチャンスである。



挨拶や言葉のやり取り、コミュニケーションは、キャッチボールである。


ドッチボールは勘弁成らない。



ただただ、くだらないこととおもわれるのかもしれないが


わたくしは拘りたい。


ひとと、ひととの、距離感や、ひとに対する配慮、そして


その配慮を伝える言葉がけ。



シンプルでイイ。。。


むずかしくもない。。。


おめでとう


というだけである。





若干、氣オチし、ドッチボールをした後、20年程通っている美容師さんのところへ。


カリスマ美容師の先駆けであったA氏は、いまもなお、カリスマであり続けている。


なんと、わたくしと同じ歳であることを、5年通い続けた後にしることになった。


どういうヘアスタイルにするのか、珍しく、大きな鏡をみながら


話し合った。 


普段は座って、お任せ。 要求はいつも”綺麗にしてね!フェイススタイルは別にして”


と注文をつけてあとはジッとA氏のやることをみている。


楽しい。


プロの仕事はみていて、


スピード感とセンス


ゴールを見据えてのカットは創造力の冴えたるものであり


ビジネスパースンとして、グローバルな見地に立たされた時にも必要とされる


構造力,構想力 そして 先見力

が、一瞬にしてできあがる。


美容師という仕事は本当に大変な仕事であるかと思う。


そしてなんといっても,顧客とのコミュニケーション。

まわりのスタッフとの協働力。


グローバルで活躍している人々。


バッサリとイメージチェンジをした。


帰り際,プロのカリスマ美容師は


深々と頭を下げて、最高の笑い声と笑顔で!


「お誕生日おめでとうございます。素敵な一日を過ごしてくださいね。


いつもありがとう!!!」


と爽やかに素敵にそしてスマートに言葉はなった。



感謝、感激。



さあ、これから、新しい素敵な一年の始まり!!!


小さな勇氣と、謙虚に奢らず

日々学び続けよう!


グローバル人財に成るために。



Keiko

2011年3月9日水曜日

心の指針

世の中が激しく揺れ動く今日この頃。


ふと、志事(=仕事)の帰りに何気なく、いつもの歩道橋を渡りながら


「何のために私は生きているのだろうか」


そして、


「いまをどう生きることがいいのだろうか」


と、急ぎ足で歩く足をとめて、考えてみた。



わたくしの目の前には、細く太く流れるように先が遙か向こうに


広がる道に、ルールによる指示を待つ車が何台も


連なっている。



まるで、その車達が、ここに暮らす、ビジネスパースンであるように思う。


そんなことを考える暇などない。。。


と思われる方々もいらっしゃるかと思うが



なんのためにいきるのか


いまどういきるのか


このたった二つの質問を何時も自分に問いかけ


こころの指針をもたなければ


忙しさや不安感に流されるままの毎日を送ってしまいがち。



人間いままさに問われるのは、人間の持つ能力。


グローバルで通用する人間力である。



感謝のこころを忘れない。



敬子

2011年3月7日月曜日

人生を楽しむ加速学習


がらんーんと目の前の道が、遙か遠くに一直線に伸びる線をみた。
激しく行き交う車、バイク、そしてトラックが通る道路が
こんなにも静かになるのは
何日ぶりであろうか。
ふと、なにかを目にすると、わたくしはいつも、自己トレーニング、自己問答にはいる。
普段見ないこのがらんとした道は、何を意図しているのか?
わたくしに何を求めているのか?
そして
わたくしのその何か求めているものは、役にたっているのか?
そう考えるようにしている。
すべてのものから学ぶことは出来る。
どう見るか?
どう聴くか?
どう対処するか(行動するか)?自分にどのようにおきかえるか?
そう考えてみる。
深くむずかしいことを考え抜く習慣をつけると
将棋の羽生善治さんが集中力が高まる。
とおっしゃられていたことを常に思い出すようにしてもいる。
むずかしいことを、簡単に説明するほど
智慧や知識を必要とする。
この訓練,修練こそ、グローバル人材の要因のひとつでもあるかと思う。
学習あるのみ。
一歩前進。

2011年3月6日日曜日

銀座のシンボル

お仕事の帰り、銀座イトウヤに用事があり、イトウヤで何を思ったか・・・


氣がつくと2時間位いたようで、夕方入ったのに、出てきたら、夜。


驚きは隠せなかったが、重いカバンを持ちつつ、銀ブラして帰ろう!



銀座イトウヤには、顧客を刺激するような素敵な文具がある。


新しいものから古いもの。大事に使っているモンブランのシリーズも


なんと、、、年々バージョンアップするのはお値段。



そんなものまで要らない。そんなところまでいらないと思いつつも


同じモンブランのシリーズであると、なにかそれを目標に買いたくなる。


3月10日誕生日に、自分へのお祝いに買おうか?と考えてみた。


今回はペンではなく、ファイルホルダーを買おうと思う。


10年程前に会社を辞める時に仲間から頂いた


モンブランの手帳がボロボロになってきて、先日、ぼたんのところがはずれた。


数本のモンブランのペンを入れすぎた?という反省もあるが


臙脂色は見事に茶色のあかかっしょくが薄れて、なんともくたびれた感じが


苦しそうである。メンテにだそうと思ったが、大事にここまで使った思い出を


残しておくことを選択した。


インターネットでモンブランの手帳ホルダーを買おうとも思ったが


長年使うものは、手に取って考えたいとわたくしは考えているため


やめた。





たまにはちがうパーカーやウォーターマンもみたが


目が落ち着くのがやはりモンブランであった。


いくつあってもいいモンブラン。



悩んだ。。。めずらしく。


やはりペンかな~と少し考え、今日は買うのをやめて


帰ろうとした時、定員さんが


分厚いカタログをプレゼントしてくれた。


嬉しいやら,、、、なんともいえないが、もらってかえることにした。



ゆっくり考えてみようとおもう。



研修を実施する時、わたくしはいつもおもしろい、使いやすい


そして、新しいものを、参加者にプレゼントするようにしている。


まわりに楽しそうなものや、研修をやったことをいつでも思い出してもらうには


ボールペンや手帳,そして、ノートなどがいい。



今回も素敵なファイルをみつけることができた。


色のバリエーションが豊かだけではなく、日本人がつくった


心配りが伺えるファイルである。



いくつか買って、顧客の意見を聞こうと今回は思っている。


なぜなら、長期にわたる研修の場合は,まわりにコンセンサスを得てから


すこしづつ

無理をしないように効果性の高いやり方を


双方で意見交換する。



モンブランのカタログ、創意工夫されたファイルと仲間達をもって


銀座線に向かってあるきだした。


銀座三越前まで行くと,和光が聳え立っていた。



和光も庶民的になったのか、開店が夕方5時をすぎても・・・


素晴らしい。


以前は,夕方5時には閉まってしまい、土日はやっていないという


なんとも敷居が高いお店であったがいまはネット販売もしているという


サービスぶり。



その銀座和光が、服部セイコーであることは、いまの若い人は知らない。


和光の時計台は銀座のシンボル。


大きく聳え立ち、そして、あたたかく我々を見下ろしている。



いつでも正確な時を知らせてくれている。


なによりも、この落ち着きがほしい。


銀座に来る度に、この銀座に似合う女性になりたいと思う。


敬子

2011年3月5日土曜日

お祝い

友人がお店を変えて、チーフになって西川口にデビューした。


お祝いを持って出かけようと思ったが、家の近所、わたくしが御用達に


しているお花屋さん達は、午前11時から。


待ち合わせをということで、西川口で12時。


このままだと間に合わない。少し前にいって、西川口駅周辺のお花屋さんで


お花を買っていこう!と若干早めに家を出た。



西川口という駅は、人生初、上陸。


どのような街かも知らずにいった自分を深く反省した。


かろうじて、前日買っておいた若干大きめ包みがしをもっていたため


祝いにいって、手ぶらでいかずにはすんだが・・・


駅に着いたら、何と、、、、お花屋さんがない。



困ってしまった。


まずは待ち合わせ12時にいって


1度そのお店にいき、そして、用事を思い出したからといって


有楽町にダッシュ!



目的は一つ、以前から買おうと思っていた、キティちゃんの容器が


とても可愛らしいと思われるブリザードフラワー。


通る度にみているが、すぐなくなってしまうため、自分でも


半信半疑ではあったが、丁度,値段が手頃なものもあり


購入して、西川口にとんぼ返り。



とてもとても可愛らしいお花たち、そして、デコレーションには


なんちゃってマシュマロやクリーム、キューィや、西瓜、そして


メロンにいちご とフルーツが一杯。


バラのお花をひきたたせるのではなく、全体的にデコレーションされた


ブリザードフラワー。



以前、1度,六本木ヒルズのセミナーで造り方を学んだことがある。


友人はそれからというもの、何かあると、ブリザードフラワーをつくって


くださる。自分もそうしようとおもってはいるがなかなか手間暇が。。。


といいわけではあるが、まだまだ、わたくしは、ひとにあげるより


お花は、もらいたいほうだ。。。とその時、確信した。笑))))



この時代に消えてなくなる花は、なかなか人からプレゼントされない。


確かに、小さいスタンドフラワーのような手軽さはあるが


お祝いとなると、そうはいかない。



ブリザードフラワーは


はかないお花とは若干違い,一生?まではいかないまでも


美しいまま凍らせるため、ほぼ永久保存。



若干、高価ではあるが、頂くひとの大変喜ぶ顔などを


頂くと、そのこともわすれる。


もうひとまわり大きいキティちゃんの容器のものがほしかったが


なかったため。。。今回はこちらに。



いくつあってもいいお花。


とてもいいものである。


今月10日は自分のお誕生日。



プレゼントしよう。



敬子