2011年2月4日金曜日

みちをススム


学問をする上で、この道一本で
鍛え抜く。
学び続ける上で、どのような道を歩むのか・・・
自分のいごこちのよい場所や、自分が何十時間没頭出来ること。
その分野を一流のレベルといわれるまで
熱心に研究してみる事。
自分の人生は自分で決める。
大人になってくると、みな同じようにいう。
最終的には、ひとは自分が答えをもっていて、答えをもっているからこそ
迷い、悩むのである。
判断基準などがあるからこそ、であるかと思う。
まわりに合わせて、行動するのが、楽といえば楽であるが
それは、社会人として、人として生きていく上で
最低限もっていなければならない歩み方。
それは、ただ、生きる。
という責任ではないかと思う。
人間は辛くなると、やたら頑張るひともいるけれど
自分の動機を否定されたり、非難されたり、そして、自分で納得がいかない場合
人は、あんびょうたんになるのである。
暗く、病的に、短気になる。
深く深呼吸もできない状況になる。
自分の判断のレベルを常に磨いて、深くそして広く何か先をみれるように
見識を増やすということ。
脳は新しい発見が大好きなのである。
新しいものに気付き、新しい物に刺激されて
そして、これまでの自分の思考回路や知識の棚から
まるで本をいれかえするように、自分の知識を増やしたり消したり等々する。
みちをススムということは
とても大変な事である。
ひとりで歩む。
これもまた・・・
ふと仕事の帰り、道をあるいていて
ふと学ぶことの意味を深く深く
考えてしまった。
道を進む=みちをすすむ→「なぜ?を繰り返し」
精一杯生きる
ことではないかと今日のところは思った。
感謝

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