2013年4月29日月曜日

人に好かれるような人

いつもありがとうございます。感謝。


母の状態が氣になる中、母に行ってきなさい!と喝をいれられ、海外での志事に向かった。


念願のスマホノートを持参し、様々なことが電話をしながらメモできるようにして


出かけた。 わたくしの志事は、難問を解決する糸口をみつけ、解決にむけて、時間との


戦いのなかで、いかにその人一人一人にあった状況のなかで、効果的と思われる解決方法を


プレゼントすること。 そのためには、「現場」をみなければならない。”現場をみずして本質は


語れない。。。”とわたくしはいつも思っている。


短く限られた時間で、切磋琢磨しながら学び高めあったビジネスパートナーの様子と


今後続けて育てていくビジネスパートナーにさらにこのダイバーシティな環境、グローバルな視点


そして、スピードと人間性と相対する市場をまえに、いかに自分を高められ続けられるか。


学びあうといっても、双方にリーダーシップがなければならない。



感謝のこころと、プロフェッショナルとしての相手に対する氣づかい。


氣づかいがいかに物事を円滑に動かせられるか。


自分が何かをしていただいたことを思い出しつつ、そして、自分も気持のよかった


仕事に集中できる環境をつくるために、何をすべきかを知り、まねつつ、自分なりにさらに


工夫して、潤滑なビジネスの成長に貢献し続けてきた。


難しいことと簡単なことがあると、難しいことを選んで


「どうしたらできるだろうか」


といつも悩んでいる。


考え抜けば答えは出る。。。自分の信条のひとつでもあるが、なかなか現場をみないと


効果的と思われることはできない。


今回は事前に準備の際に、先方の方々と何十回もメールで現状を質問し


ある程度理解したうえで、セッションを行った。


有難い。。。


事前準備のおかげで、双方に笑顔がでたように思うと共に、さらなる今後のつながるお仕事を


いただくことができた。 自分の中でもなにかをやるときには、必ずといっていいほど


相手の状況を確認することにしているが、今回メールで何十回におよぶ質問にも根気よく


回答して下さった優れたビジネスパートナーに心から感謝している。


そのひとは、非常に笑顔の素敵なひとでした。


多くの人を恐らく好いてきたひとの顔をしていた。


多くの人を好きな人は、やはり人に好かれるのではないかと思う。


厳しい環境ではあるかと思うが、わたくしが育ったところによくにたところ。


きっとこれも何かのご縁であるかと思っている。


自分の育ったところに貢献する。。。


わたくしの願いがかなうような氣がした。


さあ、これからまた彼らのために、考え抜いて、よりよき環境づくりに貢献したいと思う。


30年ぶりにいったマニラ。以前は100メートルしか歩くことができなかった。


理由は。次回に。。。


より休日を!


この再会と出会いに感謝。


Kei

2013年4月19日金曜日

無力に思う瞬間。

いつもありがとうございます。感謝。


すべての出来事には意味がある。


いつもそのように考えて、困難なことと思われることも、果敢にチャレンジしてきた。


行動することで、すこしでも動くことで、問題の解決の糸口への情報収集を


しながら、打開策を考え抜く。



現実を「受け入れる」


そんな簡単なこと?を繰り返し、繰り返し、続けていくうちに


だんだんだんだん自分の受け入れる器が大きくなってきていることを


自分でも感じている。


無条件に受け入れるまでは、まだまだ訓練がいるようで、自分で正しく現実をみることの


訓練の繰り返し。 受け入れることに苦しくて、涙が止まらない日がこのところ続いている。


以前は涙をこらえて、胸に一杯うけいれられないことをためていたが、胸の痛みが


続くことを自分で感じ、これは身体によくない、これでは前に進めないと考え、自然に


まかせることにした。 


とはいえ、涙はひとにはみせない。


夜、仕事帰りに、病院により、母と語り、身の回りのことをまとめて、自宅に持ち帰る。


家路までの病院から家まで歩く約20分程度、暗い夜道が、いまのわたくしの


素直になれる瞬間でもある。


行き交う激しいクルマの音を感じることで、生きていることをいまさらながらに感じ


そして、自らの無力さを感じながら、歩く。  自然と涙が止まらないぐらい落ちてくる。


ひとしきり泣くと、さあやるぞ!という氣持ちになる。


家に帰り、あたまがくらくらしたので、しばらく椅子にすわり、しばらくボーとしていた。


すこし無意識に寝たかもしれない。 起きて熱をはかると38度もあった。


暑いなーと涼しい夜の中、歩いてきたからだとは思っていたものの、ぐるぐるしたのは熱のせい。


いまは、倒れるわけにはいかない。


今日は何か栄養の沢山あるものを頂いて、元氣な姿を母にみせることで


母を元氣つける。


いまこの瞬間、生きていることに感謝。


いろいろあるけど、生きている。


いいことだ!


感謝。


Kei

2013年4月13日土曜日

元氣の源

いつもありがとうございます。感謝。


このところのわたくしの元氣の源は、和歌山づくし!梅づくし。


母の余命1か月と医師に伝えられ、受け入れる。


毎日、頭が痛くなり、一瞬、自分も母と一緒にいってしまいそうな氣分になることがある。


母が天にいったら、わたくしも、と、いまだに想ってはいるが、わたくしにはやらなければ


ならないことがある。そのやらなければならないことが終わったら、母のいる天に


愛犬と共にいこうと思っている。 それまでは何としても生きる。



生きる上での大事なこと・・・夢と価値観そして信念。


どのような価値観をもつのか。


どのような夢を大きくもつのか。


そして、何を信じてやまないのか。



ストレスを貯めないように、「夢を描くこと」「生きている意味を考える」「願望を持つ」


妄想習慣?だろうか。


元氣になるには、ひとの温かさを感じることではないかと思う。



ひとの思いを感じると、いいたいことが、プライベートではいえなくなる。


自分が、自分たちが我慢することで、まわりが円滑になるのであれば


だまっていよう。。。というのが、プライベートスタンス。


連絡しあわなければ、危険が伴う、ビジネスシーン。



そんな狭間で、自分がどうあるべきか。


いつもいつも考えている。


考え過ぎると、身体が逆に固くなる。



身体を柔らかくするには、


笑うこと。


何かしらの楽しみを見つけることではないかと思う。


わたくしの場合は、風を感じること。


頬にさわる風を感じ、いまは、ただただ涙がでる。


今日も一日生きることができたことに、感謝。


Kei

2013年4月10日水曜日

深いことを楽しくやる。

いつもありがとうございます。感謝。



「悔いの残らない選択」 あるのだろうか。。。


生きさせる。。。奢った考えのように思えてならない。


ただ生きていてほしい。



わたくしはそうは思っていない。


「選択する」「考える」そして「語る」という行為は、人間のある種の特別なことであるように思う。


考える、、、ということを、小さい頃から、妄想?という楽しい遊びに変えて


わたくしは考える習慣がついたように思う。



選択する。。。


これは、恐らく、次から次にくる難題に対処しなければならない私のいた外資系の環境。


選択、判断の連続で、そのたびに正しい、最適な選択するスピードを求められてくると


自然と身に付く。



語るという点においては、よりよき方向にもっていくために、徹底的に議論する。。。


議論することで生み出される大きな成果をみて、感じると人間は楽しくなるように


思う。 



語る前に、自分自身に「こうしたい」という想いがあるかどうか。。。


という点が大事であるように考える。


意見はあるけれど、いわない。



結論から導き出される意見?不安?不満?


結論を聞き出すのに、翻訳して?といわれたことがある。


最初はさまざまな言い方をして、「難しいことを簡単に」


「簡単なことを深く」 そして 「深いことを楽しくやる」


なんども何度も繰り返す。



わたしくはすぐに聞かれたら答えるようにしている。


応えたら、相手にいうのは、それを聞いて、あなたはいわれたとおり


やれるのか?と問う。    



答えが先、意見が先、


どちらでもいい。


答えはみな違っていいのだから。




「違いをどう楽しむか。。。」



人間関係において、モチベーションを高めるには



この意識に尽きるように思う。




違いを楽しもう!!!すこしづつ・・・ね!


感謝


Keiko


2013年4月8日月曜日

最期位は。


いつもありがとうございます。感謝。


母の病&介護との戦いが、既に12年が過ぎようとしている。


病を受け入れることに5年かかり、いつかはよくなる、良くなると願いながら


7年間。 難病である母の場合、また、年齢を重ねるごとにおこる病。



これまでにも何度か危ない状況はあったが、今回は何度母の名前を呼んでも


かえってこなかった。救急をよんで、ICUへ。 


ICUから普通病棟へ、、、いまは落ち着いている。 




いつかは天に召されることをも意識はしていたが、受け入れることができず


なんとか、どうにか、自分では最大限以上の努力をしていたが、今回初めて


母の意思を尊重することにした。



わたくしの知らないところで、母は大変な苦労をしていたことが


母から依頼される様々なものを自宅から病院へ運ぶ際に、本当によくわかった。


思わず涙が滝のように流れ、その状況をみて、愛犬がわたくしにエールをおくるがごとく


そっと寄り添い、じっとわたくしの眼をみて、「がんばれ」「がんばれ」といっているようだ。



ひとりで母は思うように動かない左足と手。


歩きたくてもスムーズに歩けない、無意識で意識が飛んでしまい倒れてしまうこと。


何より母が最も嫌がる何をするのにも、わたくしの手を必要とすること。


もう十分にやりすぎるぐらい母は頑張ったと思う。



母の最期の願いをわたくしは尊重したい。


母の悩みは、わたくしが介護をしていたことで、わたくしの自由を奪っていたこと。

いまだひとりでいることをひどく心配していた。

本人であるわたくしは、一生懸命、毎日いきることで精一杯で

そんなことを考える時間などなかったが、時折、ふと、あーーーひとり。


と思うこともある。


人間はいつか天へ。

自分の意思ではなく、やむないことでなくなることもある。

やむないことで・・・は大変心苦しいことであると私は思う。


最期は母の意思を尊重しようとわたくしは思う。

優しい母のまわりには、たくさんの天使が見えたように感じるからこそ

納得のいく方向にいくとわたくしは信じてやまない。


感謝

Keiko