2011年3月14日月曜日

祈る




この度の地震により被害された皆様方にこころより
お見舞い申し上げます。

余震が続いておりますので、
どうぞお氣をつけ下さいませ。

東京都の方も,被害された皆様方いらっしゃいます。
互いに歩み寄り、共にこの試練を乗り越えて参りましょう。

がらんとした銀座の交差点。
午前11時にお約束させて頂いた銀座でのお打ち合わせに
朝9時に家を出た。 いつもよりも2時間近く前にでて
混雑をさけようとおもったら逆であった。
何とか午前11時に間に合い、お話し合いをさせて頂いたあとの帰り道。
がらりとしている銀座。
行き交う人々の顔もどこかしら強張っているように思える。
本当は神戸までお打ち合わせにいく予定としていたが
実家に帰った時に、この地震に遭遇し,自宅待機命令が会社からでて
東京にいた。 神戸の地震のお話しになり、心情が重なり涙ぐんでいらした。
こころが痛む。
何もできない自分に涙が自然とでてくる。
何か自分にできないかと、色々とやってみる。
今日一日だけで、様々な団体からの募金サイトメールが
10件届いた。 この時、だけではなく、日頃から募金しているものとしては
なんとなく嫌気がさす。
しかしながら、やらないより、いわないよりはいいと思う。
自然災害が生きていく上で対処のしようが難しいと思う。
水の災害を3回しか経験していないが、水の怖さ、自然のこわさ
そしてなによりも人間のもろさを小さいうちから身に染みて経験させて頂ける
環境にいたわたくしは、それからというもの、いつもいつもできる範囲で募金している。
もちろん、募金の為に、道路に立って呼びかけたりするのは
いまでもやっている。その呼びかけにどのようなひとびとが募金してくれるのか?
みていると、本当にさりげなく募金して、声をかけて下さる方もいたり
また、吐き出すように文句をいって、ちゃかすひともいる。
5年前ぐらいだろうか、驚いたことがあった。
新宿駅西口で募金活動をしていたら、その箱ごともっていこうとした人がいた。
浮浪者でもなく、まったくもって、快楽のために使うような身なりの若者が
仲間と話をしていたちょっとしたすきに、箱をもっていこうとした。
よこにいた仲間が、ドロボーとさけんだら、ニカッと笑って、ばかやろーといって
その箱を道路に投げ捨てて逃げていった。
ちょうどその時,横にいた浮浪者が、驚いて、呆然とたっていた。
その時は恵まれない子供への支援金として募金活動をしていたが
その浮浪者の辛そうな顔とみなり。。。正直辛くなった。
その浮浪者は懸命にゴミを拾っていた。
1W立っていたが、1Wともずっと毎日毎日、ゴミを拾っていた。
それでも生活は苦しいようである。ただ、凄いとおもったのは
顔だけはどこかで洗っているのだろう、汚れてはいたが、白いひふの部分もあり
彼なりに清潔にしてゴミを拾っているようであった。
京王プラザでの会合の後、たまたま、その浮浪者が
段ボールを囲んで今日寝る場所を丁寧に作っていた。
本当にみえないようなところであったが、たまたま見つけてしまった。
だれもいなかったのを見計らって、持っていた少しばかりのお金を
紙につつんで彼にわたして、急ぎ足であるいた。
涙がでた。
水害の時,何人ものひとを助けた家族。
いまでも覚えている。母が自分の食べるものをたべず、放流してきた
おなかのすいた人に,自分の分を渡していた姿を。
今回の被災地の映像の中に,食料がとどかず
子供がおなかがすくので、一日おにぎりとおみそしる一杯のみで
なきじゃくる子供に,自分の分を食べずに,夕飯どきに子供に
自分の分を食べさせていた姿をみて、母の姿と重なり
涙がでた。そして、同時に,母つよし。。。と思うと共に
一日も早く、食事だけでも朝晩食べれるようにしてほしい。と願う。
寒いだろう。辛いだろう。苦しいだろう。
そう思うと、同じ人間として、本当に心が傷む。
そして、同時に,自分が出来る事。
彼らの分まで、一日一瞬一瞬を大切に精一杯生きよう!
と誓う。
また深く心から愛をこめて祈る。

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