2009年9月12日土曜日

ごめんなさい・・・といえば。

いつも、ご訪問ありがとうございます。感謝。



日にあなたは、何回、「ごめんなさい」といいますか?


突然の質問。申し訳ございません。


母の手術が無事に終了した。担当ドクターから”完璧ですね”と


画面の写真をみせながら、にこやかに完璧を連発されたが、


母の笑顔とのミスマッチに


素直に、こころから、感謝の念をつたえられなかったように思う。



わたくしの母は、本当に辛抱強い。


それが仇となり、身体を壊した。病にかかっている今でも辛抱強さはかなり高い。


いたい!ということがいえない。



なぜなら、、、忙しくしている看護婦さんに迷惑が掛かる。


ということだ。



そのかわり、わたくしには違う。色々と頼む。


うれしいかぎりではあるが、


完全看護の病院といい、面会時間や面会者への詳細なる対応を


入院説明のしおりやわたくが面会にいくと


母に、「じぶんでやらないで、すぐにナースコールしてね」


とか、頻繁にいっているのを耳にする。



しかしながら、ナースコールしても、まったくきてくれない看護婦。


以前入院した時も、そうであった。


術後、ICUにいるにも関わらず、母は泣いていた。


”呼んでもこない。。。死にたい。。。”


と、声からがらにして、わたくしが病室にはいっていくといっていた。



仕事の合間をぬって、母の顔をみにいくこと、日に2~3回。


本日夕方最後のご面会という時、母の病室のまえに、2名の看護婦さんが


「先にどっちがいくの?」


「どうする?」


「なんといおうか?どっちがどうあやまる?」


とか、小声で2名の看護婦さんは話をしているようであったが

静かな病院廊下では、30メートル先からでもはっきりと様子からも伺える。


どちらから入る。。。などと、作戦を練っている。


早歩きのわたくしは、あっというまに病室の前にきて、さっさとはいった。


すると。。。


母が泣きはらした目で、ボーぜんと夕食を目の前にして、寝ていた。

なんとも、ねにくそうな状態。なんとも起きているには、食べるには

きびしい状態でいた。


大丈夫?

といっていたら、

どかどかと2名の看護婦さんが、ごめんねを連発し始めた。


ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、。。。。

呼んでもこれなくてごめんなさい。。。ごめんね。。。ごめんね。。。


うるさいぐらい。


ただ、、、先の状況や、声のトーン、そして、態度からは


ごめんなさい。。。が嘘に聞こえる。


こころのなかで、看護婦さんが


「うるさいなーーーこの患者・・・」


という声が聞こえる。


そう感じる。


聡明な母が怒っている。珍しい。。。

超が付くほどまじめな母は、

早く治りたい一心で、決められたことは

よく守る。


病院が好きな人はいないが、母は面倒をひとにかけるのが嫌いである。

入院には向かないひとである。


完璧とはいえ、手術後、24時間は経過していない。

そんななか、やれることは自分で何でもやるが、できないこと、やってはいけないことなど


特に、手術したあとの正しいケアは副作用を軽減させる大事な時期。


とにかく、意味のないごめんなさいがうるさいぐらいに聞こえる。


様子やこれまでの対応などを聴いていたため、


わたくしはだまっていた。


以前、某病院で入院していた際、ナースコールを何回呼んでもこなくて


母が死にかけたことがあった。その時は、わたくし激怒した。


そうしたら、その後、わたくしのいないときに、看護婦からいじめをうけた。


また、苦情をいった。すると、また、いじめられた。


ドクターにいった。やっと、このいじめはなくなったが、母のこころの傷は深く残った。


そして、わたくしも心に深くきずついた。


そんなトラウマもあり、看護婦さんにたいしての要望をいえなくなっていた。


しかしながら、先程の状況などなど、、、母がこれではさらに病状が悪化してしまうと

思ったので、勇氣をもって、冷静にいった。


「謝るのではなく、今後のことを考え、対応して欲しい」

と。するとまた、意味のない、こころない謝罪が始まった。


言葉は冷静に自分が話す声がきちんと聞こえる位

「ナースコールの意味、術後数時間で、患者自身でやらないでくださいと
いうならば、ナースコールをしたら気持ちよくきて欲しい」

とゆっくりと話した。


看護婦さんが、ひとり、やっとだまった。ひとりはその場から、何もいわずに


立ち去った。


いやな氣分であった。


食事をさせて、食事のお膳をかたづけに、わたくしが出てくると


何もいわずに立ち去った看護婦が、へらへらしながら、近寄ってきた。


「大変ですよね。。。」


と。


怒りが爆発しそうになったが。。。息を飲み込み。


『忙しいのは十分に理解している。早く治して出て行くから、協力して下さい』


と一氣にいった。


すると、へらへらしていた看護婦がだまった。


「お膳はお部屋に置いておいて下さい。」

といわれたので、

「先日置いておいたらずっと取りにこなかった。とか、お膳をおいたかと思えば

すぐに取りに来る。どちらなんですか!」

このときばかりは、きつくいった。


すると、沈黙。。。

何もなかったように、その看護婦さんは


「お母さん、心配症で、きれい好きですよね。。。」

と笑いながらいった。


懲りない人だ。。。と思い。黙って、にこやかに笑い、そして一言。

”あなたにいってもはじまらないかもしれないが、みなさんで対応を考えて欲しい”

そして、これでは”個室”の意味もない。といった。


疲れた。。。


母に心配な顔をみせてはならないので、にっこりしながら病室にはいった。


色々と用事を頼まれることをいつも以上に受け入れた。


看護婦になり、母や母以外の困っている人を助けたいとふと思った。


そういえば、幼稚園から大学以前まで、ずっと保険委員だった。

ナイチンゲールにあこがれて、ヘレンケラーに励まされ、マザーテレサに

翻弄され、キング牧師に感動し、自らの志事や使命を実感している。


色々と考えると、看護婦さんになるより、以前のことを踏まえると医師に

なり、看護婦さんを指導する側になったほうがいい。


思いやる、愛ある人。


看護婦のみならず、デキル限り、生きている限り、できることは


率先して、ひとのために役に立ちたいと思う。


実践しているがまだまだかとも思う。


「ごめんなさい」と謝る前の、介護予防。。。必要だと痛感した。


医療制度云々も必要であるが、同時に、やはり


「人の教育」

は大切であると思う。


ひとりひとりが自らの役割を理解し、その役割を演じる。


プロフェッショナルをさらに育てること。


改めて、自らの役割を認識した出来事であった。


さあ、、、これから洗濯だっ!(笑)


今日も一日よい日でありますように。


感謝。。。。。。。


Kei

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