2009年3月25日水曜日

ひとのために生きる。

いつも、ありがとうございます。感謝。




なぜ?自分は生きているのか?


と、ふと想うこと、ありませんか?


メンターの一人が、以前


”何かの使命を、果たすまでは


生かされ続けるんだよ。”


といわれたことがある。



あまりにも次から次へと試練が波打つように


振りかかって来る。


ひとからすると、たいしたことのように思えないかも


しれないようだ。 たしかに大したことのないように振舞っている。


ビジネス上、人と話をしている時には、氣丈な姿勢で


プロフェッショナルを演出する。


こころと身体は正直ぼろぼろになっているのだが・・・


顔が引きつっていないかどうか、普段以上に


相手の表情に氣を配り、向き合う相手の心の声を聴く。。。



経営者の一人として、ビジネス上で働くひとりの人間として


最後まで、あきらめないで責任を取る。


これだけは決めている。



それが、”甘い!”といわれた。


他人の責任まで取る必要があるのだろうか?


といわれた。。。


わたくしにとっての他人って・・・


と考えてみた。



わたくしは、何かない限り、相手からフンとご縁がなくなったとしても


人間はどこかで繋がっている

と心底信じているので、相手を忘れたことはない。




わたくしは志事(=仕事)で関わった人が何かあれば


何か報酬を渡すことにしている。


それが、お金ではない場合もある。



ただ、非常に残念なことに、情報や知識に対して


大変多くの時間をかけて学び、今も日々学び続けて


考えて考え抜いて、新しい発想や、課題の解決に向けて


考え出したアイディア、目に見えない時間や目に見えない努力


に関して、いとも簡単にさらりと持ち去る人がいる。



コンサルタントという仕事柄、話すことがすべて。


クライアントの話を徹底的に傾聴して、データ分析して、市場調査も


して徹底的に話して、新しい発想で整理整頓して、何か新しい


アイディアを出す。 このプロセスには、契約というものと相手への


現時点において最高級といわれるスキルや知識を提供する。



よくコンサルタントは、誰でもなれるという。


わたくしはそうではないと思う。



コンサルタントは、何かの答えを一つ出す。ご提案すること。


顧客のリクエストをお断りすることもある。


そのとき契約をきられることも覚悟して、お断りすることがある。


そして、お断りされたこともあった。 お断りされた事は一度。


話し合いが足りなかったということ。 ただそれも正式な契約というべき


残すものがないまま、こころと心の契約であったかと思う。


もしかしたら、契約自体がなかったのかも知れない。いま思えば。。。



逆に、私の方から、契約を解除したこと3回。


1度目は、対価よりも高い値段で支払うと言われた時。


2度目は、対価よりも低い値段で契約されたいと言われた時。


そして、最後は、契約にないことを実行されて、報酬を要求された時。



判断基準は、「それが物事として正しいかどうか!」である。


どちらかがよく、どちらかが悪いということは、決してない。


ならば、両方WIN-WINかというと、正直、この言葉には究極的な


感じがして、ビジネス上では、本当にそうかどうか?いま、研究中である。


以前は素直に、Win-Winといっていたが、意味づけや状況などを


踏まえて、人にビジネスの基礎を伝える時に、疑問さえ感じ。。。



わたくしはビジネス上において、何かを成し遂げようと思ったら


Win-Winは厳しいように思う。


なぜならば、ビジネス上、ギブ、ギブ、ギブ、ギブ、ギブ、アンドテイク。。。


徹底的に相手の求めるものにヒットするまでギブする。


ならば、最初からヒットするものを出せばいい!ということも


確かにあるが、人間はそのようには出来ていない。



あまりにもいい人というのは、あきられる。


何でも受け入れていると、相手の要求と自分のできる範囲、そして


対価が異常なほどの金額に跳ね上がる。


対価のない世界。。。これが一番、ビジネスにおいて厄介であると思う。


もちろん、人生においても、目に見えないものが、一番、効果が高く


そして、高価なものであると思う。


それは何だろうか?と考えると。。。


”相手を思い遣るこころ”


という態度。



よく態度で示せ!とはいうが、その態度というのも


正直、自分が考えるものと、相手が考える態度と違うものである。


期待される態度、、、それは正直、聴いて行くのが一番。


察する!さっする。

ということ、大事である。。。が、、、その察しの意味づけは

相手に確かめなければならないかと思う。

なぜならば、相手を察して、やった行動が、本当の意味で

よくない場合があるからだ。

では、本当の意味とは???これは、相手と勇氣をもって

話し合い、そして、時には仲裁も入れて、話し合う。

どちらが、あきらめてはダメである。

なんか、すっぽんやハイエナみたいなわたくしではあるが

限りない人生であるからこそ、

後悔はしたくないからである。

ただ、その期待される態度に、一生懸命めざしたとしても


達成が遅くなるという場合があるということを


最近味わっている。



では、何が一番なのか?とか思うと。。。


「ひとの為に生きる」


という姿勢を一時、捨てることも必要であるかとも思う。


わたくしが最もしたくはない、姿勢である。


「あきらめる」


という事が苦手である。正直できない。


そこが、あまい!といわれても、わたくしは、その期待される態度に


向けて、日々すこしづつ邁進する。不器用な人間である。



苦手なものを作らない。


伝説のホテルを作るオーナー社長がいった言葉である。


わたくしも苦手なものを作らないように、意識している。


意識はしても、越えられないような壁にぶち当たっている私は


いま、素直に自分と向き合い、


これは、、、苦手である。


といえる。  


そのように、素直な心になれた事。



それがわたくしにとって


苦手なことを既に克服しているのかもしれない。



人間は成功するように出来ている。


どこかで聴いた話ではあるが、どこかで誰かが見ている。


まっすぐに努力している態度を誰かが見ていてくれる。


神様はそんな努力をしている人間に対して、見捨てるはずがない。


と信じている。



這い上がって、明るいところを目指す!


引き寄せよう!ラッキー!



強運のちびっ子 Kei 感謝。

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