2023年1月6日金曜日

稲盛和夫氏の言霊 「人は何のために生きるのか」 成功と失敗の法則 


好奇心ブログをご愛顧いただきありがとうございます。

2023年が明けて、一週間目が終了しました。

この週末は、成人の日とも重なり、3連休となります。


そこで、わたくしの人生のテーマでもある

「人は何のために生きるのか」

を追求し続けているのですが、昨年、稲盛和夫氏の書籍、人生の智慧が

満載の「致知」の一説を読むことで、この人生の問いを追求するのではなく

実践となりました為、2023年を迎え、新たなるスタートの年をむかえ、心豊かに

暮らせるように、ご紹介させて頂きます。


わたくしは、幼少期の頃から、「人は何のために生きるのか」を問い続けており

ました。色々な書籍も読み、周りからも驚かれましたのは、7歳の時に、

本屋さんで、「夜と霧」「道をひらく」を購入したほど、ユニークな子供でした。


幼少期の時から、その問いを聞いてもいいかな?

と思われる祖父、祖母、お寺のお坊様、神社の神主様

そして、既に亡くなられた師匠にも聞いたことがあります。


自分なりの答えはあるのですが、次元は違えど、稲盛和夫氏の言霊が

最も自分の回答に近いこともあり、この言霊を読んだときは、感動いたしました。


それからというもの、迷わず、

どんな試練にも耐えてこられたと、乗り越えられてきたのでは

ないかと思っています。


まだまだ、試練は続きますが、「人は何のために生きるのか」の問いは

この文章で終わったように思います。


ご参考まで。


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この我々の自然界には、微生物から動植物まで、

たくさんの生物が存在しています。
そして、それらはすべて循環をしております。

例えば、地中にはいろいろなバクテリアや
細菌がいて植物の根の成長を助け、
それによって地上に草が繁茂します。

すると、そこに草を蝕む昆虫類がたくさん群がってきます。
これらの昆虫は、昆虫同士で
食べたり食べられたりして生存をしています。

また、草食動物も草を食べます。
そして今度は、その草食動物を肉食動物が
食べて命を永らえていきます。
肉食動物は老いて朽ち果てると、
また土へ帰っていき、それが土壌を豊かにし、
そこにまた新しい草花や木が生えるようになります。

このように自然界は循環をしているのですが、
それは同時に、命の連鎖が続いていることを意味しています。
自然界のあらゆるものは生命の鎖でつながっているのです。

草は昆虫に蝕まれて昆虫を育て、
また草は草食動物に食べられて草食動物を繁栄させます。
草食動物は肉食動物に食べられて、
肉食動物の繁栄を支えている。
その肉食動物も、やがて死を迎えると
バクテリアによって分解され、
植物の栄養となるのです。

自然界はそういう命の連鎖でつながって維持されています。
つまり、これらの一般の生物たちは、
自分が生きるだけではなくて
自分の命を差し替えて他の命を助けているのです。
そのような循環が、
この地球上では延々と行われてきております。

我々人間は大変素晴らしい知恵を神から授かっています。
素晴らしい頭脳を駆使して近代科学を発展させ、
素晴らしい文明社会をつくってまいりました。
知恵によってあらゆる生物の頂点に位し、
地球上にあるあらゆる生物を食べて生き永らえ、
繁栄を図ってきました。

見方を変えますと、
一般の動植物は自分の命を差し出して
他の生き物を助けてあげていますが、
我々人間は、植物でも動物でも
すべてのものを殺して生き永らえて
繁栄を続けているのです。
そうやって生物の頂点に位し、
それぞれの人生を生きているのが
我々人類の姿であります。

そう考えると、
私にはこういう思いが湧いてくるのです。

人間は素晴らしい知恵を持つと同時に、
素晴らしい理性とか良心というものを
持っているではないか。
ならば、すべての命を収奪して生きるだけではなく、
理性とか良心の領域を使って、
他のものたちに対して何か施しをすることも
考える必要があるのではないだろうか。

せっかくこの世に生を受けたのですから、
命のある限り自分だけが生きるというのではなくて、
我々人間も世のため人のために
少しでも尽くして生きるべきではないのか。
わずかでもいいから、世のため人のために
尽くす生き方が人間として大変大事なのではないか。
そこに、この人生を生きていく
意義があるのではないかと思うのです。

つまり、私たちは何のために生きるのかといえば、
その第一の目的は、世のため人のために
ささやかでもいいから尽くすことであると
私は思っているのです。

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そう、わたくしも、私たちは何のために生きるのかといえば
世のため、ひとの為に、ささやかでもいいから尽くすことであると思っています。

また、同時に

人生を生きる意味とは、
 まさに自分の魂を磨くことにある


わたくしが世の為、ひとの為に、ささやかでもいいからできることは
誰に対しても親切にするということ、思いやりとコンパッションを
勇気をもって行うことを私は母から教えられました。

どんなに辛いことがあっても、ここまで生きてこられたのも
きっと、母からの教えがあったからだと思えてなりません。

わたくしにできることは、本当に少ない。限りなく・・・

そうであるからこそ、ささやかでも精一杯、世の為、人の為に尽くすことです。
人間力教育を通して、私はひとりでも多く「思いやりのある」リーダーを育成したいと思います。

水野敬子 Keiko Mizuno

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