2013年9月2日月曜日

心の休まる暇などない。

いつもありがとうございます。感謝。


9月に入ったというのに、まだまだ東京は暑い。


ありがたい!


有難い!


有がたい!


そう何度も念じながら、顧客から顧客へ向かって歩く。


母が退院し、介護+ヘルパーさんが来る、新しい我が家での生活が始まった。


入院する前より、やはり、予想していた通り


介護5


は重い。


出先にでていても、


心の休まる暇などない。


しかしながら、顧客と向き合い、


顧客の難題を徳鍵をみつけだすために


顧客と話し合っている間が


わたくしにとって


自分らしい時間。


心の休まる暇などない。


歩いていると、母のことを想い、涙する。


頭を切り替えるために、


空を見上げて


よきことが起きるように、お願いする。


空をみていると、いやなことも


ちっぽけなことに思えてくる。


あの青いそらの向こうには、


わたくしとかかわった多くの受講生や顧客がいる。


まだ知らぬ、見ぬ、出会っていない出会いがある。


そう思うと、わくわくする。


「より健全な世界実現のために


可能性を追求する」


なんにも考えず、すらりと、起業する時に


コピーライターなしで、コピーライターが驚くぐらいに


さらりさらりとでた言葉。


可能性。


より健全。


そう、世界は進化し続けているのである。


心が折れそう。心が裂けそうな想いがあったということを


ある人が、師匠に相談していた。


すると師匠は、顔も変えずに


「心が折れそうという人は、いまの社会に順応できない


柔軟な精神がないのだ」とさらりといった。


わたくしはそうな思わない。


そのひとが、師匠に頼ってきたのであれば、


まずは、


あたたかく受け入れること。


受け入れていることを、相手に伝えることが、


その彼の呪縛ともいえる環境から抜け出す


一歩になるのではないかと


私は思う。


そう感じた。


よく、わたくしは人前で立って話をするとき、


数年前から、


「人、人間は強くない」


「人はきずつけやすい」


ということをいっている。


「いまの時代は、武器などなくても、ひとをどうすることが安易にできる」


こうして、ブログに書く、ひとにいう。


言葉という武器が、知らず知らずのうちに、


正しい情報から


誤った情報へと進化し


ひとをきずつけてしまう。


自分自身をも理解できないのにもかかわらず、ひとを理解するなど


一生かけて、自分とひとを理解しようとすることこそ、


人間にとって、ひとりひとりが生をうけて


生かされているものの使命ではないかと思う。


苦しいときには


苦しい。


苦しいときには、苦しいとお互いにいえるような環境づくり。


甘い


と言われてしまうかもしれないが


わたくしは、つらいときには、つらいといってもらえるような


度量のある人間に一人一人がなってほしいと思う。


つらいと感じているひとを、あたたかく見守れて


できるなら、できるだけ、手をさしのべられるぐらいの


ことをすこしづつ、みんなでやれば、


人は強くなれると思う。


心の休まる暇などない。


心を休めることができるのは


みなさんの笑顔をみた瞬間ではないかと思う。


だからこそ、わたくしは、微笑む。


笑うこと!


いや


微笑むこと!


を、さらに意識し、そうして、微笑むことができる


姿勢に感謝し続けていきたい。


あなた、みなさんと共に。


感謝


Kei

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