2010年9月23日木曜日

自分に打ち勝ち、磨き続ける

いつも応援ありがとうございます。感謝。



戦う!


ということに何の意味も持たないことを

誰かに説明する時、わたくしはいつも困惑する。


なぜなら、


幾ら思い出そうとしても、「戦う」ということを小さい頃

学んだことがなかったように思う。


しかしながら、仕事をしているとライバルというものが出てくる。

それでも、わたくしは、そのライバルと戦いたくないため

自分しかできない強みで、勝負しようとする。


勝負というと、戦うことになるが、それは私にとっては

自分との闘いである。

ひとと比べるということを知らないで育った。


よくよく思い出すと、いつも、母は、わたくしがテストの点数が悪いと

「一所懸命努力したの?よく勉強したの?」と聞く。

「どうして出来なかったのか、自分で考えてみなさい」という。


この繰り返しである。

勉強で怒られたことがなかったが、非常に心配をかけたことは

覚えている。


なぜなら、とにかく、勉強は出来なかったが、何事にも興味を持つと

ずううううとそのものに飽きるまで研究して、見るということ

質問することをしていた。


勉強といえば、天才少女英世ちゃんから、読んでもらう本や感想を

一所懸命聞くことであった。

常に家庭教師の先生がいて、家庭教師の先生かたがたも

ちょっぴり好奇心の豊かな方々ばかりで、勉強そっちのけで

自転車の話をしたり、道や、土、水、そして苔、など

生物の話をみたり聞いたりするほうが多かった。

中学受験の時に、国公立に行くより、母は小さいわたくしが受験戦争で

性格がまがってしまうのでは?という懸念から、私学にいかせたく

色々と勉強方法を変えて、好奇心旺盛なわたくしを勉強させた。


それについついのってしまい、ある程度できるようになり

学校も選択することができる身分までなったが、家庭教師の先生ほか

わたくしをみていて、私学の道ではなく、



『自由』

『自主独立・真善美』


を重んじる国公立を選んだ。

とにかく、おかしなこであった。


自分でもユニークと氣づくのに、あまり時間はかからなかった。

それからというもの、そのユニークさを追求していった。


社会というものは、それを許さない環境もあることに

居心地の悪さを感じたりした時、初めて、わたくしは戦うということを経験した。


突き抜けるまで自分自身と戦う。

自然に身についたことである。


他人と競うことはしないが、仕掛けられると勝負は買うことにしている。

きっとこれも何かの意味があるかと冷静に分析して対応する。


勝つまで戦う。


これはどうして、戦うことが嫌いで苦手なわたくしであるにも関わらず

やるのであろうか。。。


わからない。


いまでは信じられないが、とにかく静かな、あまり話をしない子であった。

じっとひとの様子を観察したり、話を聞いて、わらうのが好き。

質問されると、あまりひとが考えないような答えをだしたり。。。


マイペースそのもの。

いまでもそこは変わっていないと思う。


自分に打ち勝つ。

自分の能力のレベルを確認する為に、いろいろと資格にチャレンジしている。


だれにいうまでもなく、チャレンジしている。

そのことを、「凄いですね」といわれると、不思議でしょうがない。


なぜなら、、、

上には上がいる。

のである。


そのことを、わたくしは、ビジネス、そしてあらゆるチャレンジしたテストで

知っている。


まだまだである。

これからも、自分が満足するまで、自分を磨き続けて

生きたいと思う。


昨夜、見過ごしたジェットリー主演の『SPRIT』という映画がテレビでやっていた。

途中あまりの戦うことの熾烈なやり方をみたくなくて、別の番組をみていたが

どうしても原作をよんでいたこともあり、みた。


”様々な流派があるが、みな同じである。

ならば、なぜ?戦うのか、競いあうのか。

それは、自分の成長の度合いを見るためである。

・・・

”自分自身に打ち勝つこと”

そして

”磨き続けること”


の大切さを、技を究める主人公の波乱の人生を描いた

感動のヒューマン映画である。


この主人公のように、闘い続けて、最後に笑って見たい。

笑って、


と思う。


感謝


KEI

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