2010年9月20日月曜日

キセキ

いつも応援ありがとうございます。感謝。



『最近、涙を流したことはありますか?』


カウンセリングをしていた相手に聴いた。


”年のせいか、涙腺は弱くなったと思う”という返事が返ってきた。



元氣なこころを取り戻す。


なかなか今の時代、難しいように思う。


映画を観たり、本を読んだり、そして、だれかの話を聞いて


何かをそれぞれ感じる。



当たり前のことではあるが、その当たり前の感情がいま


すこし少なくなっているように思う。



ひと。


ひとに焦点を当てる。


こころを通じ合わせる。


一時でもいいから、何でもいいから、そのひとに好奇心を持つ。



わたくしはひとにとやかく言われるのがキライである。


そうではあるが、ひとの意見ややることに、全身全霊で注目する。


常に注目している。


よーくひとを観察していると、そのひとのいわんとしていることなどが


見えてくる。 


人間には個性というものがある。


その個性を互いに出し合い、尊重しあい、共感しあいながら


この世界の環境をつくりだしている。



徹底して、ひとを尊敬するということを忘れないように


両親がつけてくださった、『敬子』という名前。



うやまうこ、、、と書く。


ひとを敬うということはどういうことだろうか。



小さい頃から、ずっとずっと考えている。


名はたいをなす。という。



敬う子と書く。そのことをいうたびに、みずからをいましめる。


わたくしはよく自問自答し、振り返る。


わたくしは、この名のとおり、ひとを敬う行動をしただろうか。


自分勝手にはなっていなかったのだろうか。。。


繰り返し繰り返し思う。


時として、相手の立場になって考えて、いったことが、逆に面倒くさがられるときもある。


迷惑がられる時もある。そんな時は、聞き流すことにしている。


以前は、大変こころを痛め、話すことすらしなくなった。いまも、心が痛くないといったら


うそになるが、顔に出さずに、いまは、態度に表す、そして、言葉でおもいをいうようにしている。


なかなか通じない。


通じなくても、いい。。。とさえ、最近は思うようになってきた。


自分が正しいと思ってしたことに自信を持つ=責任をもちたいからである。


しかしながら、勝手に思い込んで、わたくしの考えや行動を

解釈し傷つけられるときがある。


そんなときは、本当に苦しい。

我慢する。


笑顔で返す。できるだけ。。。


こんな忙しい環境下のなか、こころをかわすことは難しい。


難しいことだからこそ、チャレンジしたいと思う。



難しい事柄を終えると涙がでる。


辛すぎて、涙もでない時もある。


涙がでない、、、こうなったら、正直、人間として危なくなるようにも思う。


定期的に、人間は泣いた方がいいように思う。


なかなかうまくいかない。。。

ことばにだすのも、いいが、、、ことばにだしても、ことばにすると妙に安っぽくなる


時もある。


しかしながら、会社で働く上で、思いを言葉にして、伝える責任がひとりひとりにあるが

なかなか相手のことなどを考えると、いえなくなる。

そんないえない思いをわたくしは言葉にする仕事をしている。


相手の話に耳だけではなく、全身で聴くと、うそかほんとか、すぐにわかる。

じっと聴くだけでなく、相手の立場になりきるということ。


共感するということである。


共感も、ただ、共感するのではなく、そのひと以上に感情を込めて対応するということでもある。

しかしながら、うそ、、、と思える場合、これは、どうもへんだ、、、と思う場合は、聞き流す。

事柄がただおこったかのように感情ぬきで対応する。


あいてに通じる時もあるが、それはそれ。

相手を尊重し、尊敬する。


わたくしはひとにとやかくいわれるのがキライだか、ひとにもとやかくいわない。

なぜなら、

ひとを尊重しているから。


尊敬といいたいところではあるが、何でも何からでも相手のなにからでも

学ぶという点では、尊敬かも知れないが、ひとの立場を重く感じるからこそ

相手の状況を考えるからこそ、やることにたいしてとやかくいわない。


なかなか通じないが、わたくしは、噂話を信用しない。

しないように出来ている。


辛い時

何か悩んだ時

涙がでてくる。


歌を聴くだけでも涙がでてくる。


そんなお話を某メーカーの方にお話ししたら、22'50

という曲とその流れの映像を紹介され

仕事が一段落した夜中、DVDを観た。


小田和正

といえば、青春の。。。


わたくしは小田さんがキライだ。なぜなら、ひとを泣かす天才だからである。

本当は大好きなのだが、このひとの音楽を聴くと、悲しくて悲しくて、どうしょうも

なくなるからである。


だから、聴かないようにしている。

久しぶりにみる小田和正は非常に老けていた。

一生涯の青春男性かと思っていたが、普通に年を取っていた。


急に、きいてみようと、みてみようと思った。

じっと22’50という曲の作成秘話から実際に22’50の音楽を聴いた。


この22’50で小田和正はわたくしたちに何を伝えたかったのだろうか。

・ まだまだ日本人もやるな。

・ ひとに興味を持とう。

・ ひとつの志はひとつになると大きな感動をよぶ

・・・

いろいろあるかと思う。


ただ何となく、


キセキ


であるようにも思う。


それぞれに歌っているときの表情をみると


決して友好関係とは思えないが、22’50が終わった後は


最高の笑顔とハグ。そして、何よりもその後の小田和正の名曲を

全員で歌ったとき。。。共鳴していた。


ひとつの仕事をやり終えたあとの充実感をひとりひとりが味わい

共感し会えた様子が伺えた。


こうなるのもキセキ。


そして、いま生きていることも思えば

キセキ

である。


このキセキとどのように向き合うのか。


まだまだ見ぬキセキを考えながら

明日も元氣で生きてみようと思う。


あなたがこうしてこのブログを読んでいるのもキセキ。


このブログの中から何かを感じて

ぜひとも、ひとに興味をもって欲しいと思う。


どんなひとなんだろう。


このひとは何を伝えたいのだろう。


そして、ここが肝心。

このひととどのようにつきあおうか。


大人になったら、ある程度、付き合う度合いを考えた方が

お互い丁度良い感じではないかと


わたくしは思う。


さあ、あなたはどう思いますか。


感謝


Kei

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