2010年1月26日火曜日

コミュニケーション

いつも応援ありがとうございます。

感謝。



わたくしは人を驚かすことが


好きである。


ひとと同じ事もするが、できるだけ


工夫して、相手の楽しそうな笑顔を生み出すことに


実は命さえ燃える勢いで、様々に出会う時の場面を


イメージして、相手先に向かうようにしている。



コーチングしているM氏から紹介された


全身イタリアンの粋なN氏とお会いさせて頂いた時に


いわれたことば。。。



水野さんは、バタ臭いですね♪


と・・・


そういえば、幼少のころ、地元のテレビ局長の


自宅に遊びにいったときのこと、数名の仲間と遊んでいる


ようすを、ぼんやりとN氏がみていて、お茶の時間で


サロンに集まったときにも、N氏からいわれた。



その時は、自宅に帰るなり、母に


「まま、わたくしって、バターの匂いがするの?」


と真剣に聞いたことを覚えている。



自分では氣がついていないが、外人かぶれているらしい。。。


この外人かぶれという言葉も、よくわからないが、要は


独立しているということだろうと思っている。



幼少のころから、ホームスティを預かる家にいると


半年は自分と肌の色、目の色、話す言葉が違うひとたちが


家の中にいる。



子供ながらに、一所懸命、話しかけて、どうにかこうにか


コミュニケーションをとり、最後わかれるときは、お互いがっつりと


抱きしめあい、涙し・・・わかれを惜しんだものである。



英語を本格的に習ったのは、間違いなく中学から。


その前は、毎年2人は必ず日本語を母国語にもたない人が


いらっしゃるので、そのなかで、遊びながら身につけた。



つたわらないときは、喧嘩もした。


ほとんど喧嘩というか、だまってしまい、ただただ、泣く。


どうしたらいいのか???悩んで悩んで、苦しくなって泣くのである。


言葉を知らないということ、相手に伝わらないつらさというのを


小さいときからよく泣いて、感じて、みにつけたように思う。



コミュニケーションの取り方も、田舎もののわたくしの場合は


幼稚園、小学校の自分から、バスをつかって、まちへいき、その帰り


バス停をおりると、そこから、既に自宅のように、まわりのおじいさん、おばあさん、


近所のおばさん、やおやのおばさん、パン屋のおばあさん、とうふやのおじさん、


バーバーのおじさん、公園にいるおばさん、などなど、



「敬子ちゃん、おかえりーーー」


ただいまーーーー


「元気???」


といって、自宅の玄関までいきつくころには、間違いなく


20人ぐらいには挨拶している。


時には、近所の勝手口で、おやつを頂き、小さいころ


小食であったわたくしは、食べきらないと、おばさんは、かわいい紙につつんで


家に大事に持って帰って、家族でたべたり。。。


とにかく、寂しい。。。という思いはまったくなかったように思う。


いつもニコニコニコニコしていて、しあわせであった。

いま、思えば、子供のころの経験が、いまのわたくしのフレームをつくり


そして、すべての判断基準になっているように思う。


コミュニケーションは、うまくいかなくて、当たり前。


ビジネスのフィールドに埋もれてしまうと


つい、本質である、ひとと自分との違い。。。に疎くなる。



「コミュニケーション、うまくいかなくて当たり前」


わすれてはならない。


すべての出会いとチャンスに


感謝。



KEI


追伸、季節柄、お身体ご自愛くださいませ。拝。

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