2009年12月7日月曜日

癒しの空間

いつも、ご訪問ありがとうございます。感謝。



朝5時にめざめる習慣がついて


約20年程になる。


おいしい空氣豊かで緑触れる機会が多い環境で


育ったわたくしはどことなく混雑な場所にいくと


こころに負担を感じる。


志事をするにあたり、ベストな状態で常に自分以外のひとと


向き合うには、移動の時間やプライベートの時間、ちょっつとした


時間がとても大事である。


特に、寝る時間。

どんなに遅くても朝5時に起きる習慣を意図的に身につけたため

であろうか、いまではそうとうなことがないかぎり、時計なしでも

世界中どこへいっても、日本時間の朝5時に目がさめる。


しかしながら、昨晩は違った。

深夜午前1時30分頃に、床についた。

しばらくすると、足のかかとをガンガンと殴られた。


もの凄い、歯まで響くような振動が、全身に感じられた。


母がわたくしの足枕を取り、自分のものだ!といいはった。


寝ぼけているわたくしは、何が何だかわからないまま


朝を迎えた。


正直、朝からむかついた。


朝、母に挨拶する氣さえおきなかった。


しかしながら、本人はまったく覚えていない様子であることを

しばらくしてから分かった。



痴呆のはじまりだろうか。。。


ふと、心配になった。


先日の母の検診でさらなることがわかった。


脳に穴が6つあるのは理解しているが、その溝がふとくなっているようだ。


ということは、、、言語が、、、ほか、様々な障害がでてきてもいいようなものだ。


医師からいわれていたので、覚悟はしていたが、この出来事を母にいうべきかどうか


気丈な母にそのようなことをいうと、結果は分かっている。。。。


そう思うと、胸が痛むと同時に、

病とは、辛いものだと思う。


同時に、介護をする、近くにいる人間のこころも

重く、この想いをどうしたらいいのかも、深く考えてしまう。


以前、痴呆症の母をもつ友人が

様々な苦労の一端を聞く機会があった。


その話を聞くと、そのひとは、


「自分が至らないからだ」


と穏やかに語った。


涙が自然と出た。


何をやっても、何をしても、とうの本人は覚えていないのだから。


自らもこのような状況下になることは理解はしていたが


いざとなると、辛いものである。


そういうときにこそ、『自分と見つめ合うこと』が大事であるかと


わたくしは思う。


自分の一日を振り返り、ノートに書くことで、心を整える。


ノートに書けば、いつでも、振り返ることができる。


癒しの空間である。


いまは、ただ、久しぶり、いや、はじめてかもしれない。。。


母になぐられた足の裏が


とてつもなく重く、痛く感じる。


この心の闇と真摯に向き合いたいと思う。


感謝。


Kei


追伸、先程昼休みにテレビをつけると「就職最前線情報」が流れていた。

大学3年生が就職活動で4万6千人近くの学生が昨日東京にて開催された

就職セミナーに参加したようだ。 学生のみならず、社会人のキャリアパスの

個別コンサルティングや、企業に勤める、ビジネスパースンのプロフェッショナル化の

コンサルティングをしている。このところ、非常に仕事に対するモチベーションの低下や

ダイバーシティ(多様な価値観)のマネジメントを課題にもつ人が増えている。

ダイバーシティもモチベーションUPもすべては、いかにひとと向き合うかどうかであるかと

いう自分自身の勇氣ある行動であると思う。とはいうものの、悩んだら、プロに聞いてみるといい。

きっと、効果的に自らの自由な時間を新たに創り出すことができる。

お氣軽るにビジネスパースンの方々、相談してください。

0 件のコメント: