2011年10月15日土曜日

目に見えないものの大切さ












『現実を受け入れ、愚痴らず、精一杯生きていると




そこに道がひらけてくる』



by 塩沼亮潤(慈眼寺住職)





この”愚痴らず・・・”が曲者である。




ということで、わたくしは、この愚痴という言葉を




”ボヤキ”







”ひとりごと”





そして、”つぶやき”



という言葉にリフレーミングして、


体によろしくないと思われる言葉をより良き資源に変える。



「どうすれば、みんなが喜んでくれるか?」



常に考える習慣がわたくしにはある。



なかなか理解はされにくいが、自らの信念として




コツコツと地道に、


「どうしたら、みんなが豊かになるだろうか?」


を考える。


このみんなという部分には、もちろん、自分も入っている。


この入っている部分にのみ氣がついて・・・


のような方が多いように思う。





それは、あなたもそれを望んでいるからではないだろうかと


感じるようになった。





組織改革、事業改革、よりよき改善にむけて


様々なところで


生存競争が始まっている。



加速的にである。



そんな時おもうのは、上に立つ人間ほど




”きちんと自分と向き合う時間を持つ”





ことの大切さと





”何からでも、学び取る、”観察知力”習慣」



というのは欠かせない。



われわれリーダーができること、われわれキャリアやベテランが


できることはただ一つ。


”根氣よく、ひとの話に耳を傾けること”


”ひとを思いやる”


自分もそういうこと、誰かにご迷惑をかけた時期があったということを


決して忘れてはならない。 



自分の体にもご褒美として、おいしい食事をとることや


笑顔で明るく笑ったり、何か新しいことを感じることで


いままで当たり前に氣づかなかったこころというものの


大事さを再認識するのではないかと思う。





有難い。




この世にうまれて感謝。




苦しいことが一杯あるけれど、働けることは


嬉しいことである。






Keiko



P.S. ますます涼しくなって参ります。みなさま、ご健康に留意されて下さいね。拝。

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