2011年4月23日土曜日

謙虚な姿勢


まだまだ修行中ではあるが、ひとの変化を見抜く力というのは


自らの能力の中で、高いと自分で感じ、そしてそれを鍛えるために


様々な人々の状況や言葉づかい、態度などを観察し続けている。



すると、メールをしてくる相手であったとしても、みえない相手であったとしても


ちょっとした変化に氣づくことがある。


その時に、戦略的にその部分にはふれずに、普通に回答する場合もある。



何事も先に先に先に読んで、ひとよりも先にというよりも


向き合う相手の深層心理、こころで何事も読むことを習慣にしていると


早い内から、リスクを感じ取ることができる。


これもひとえに、わたくしと取り巻く諸先輩方々から学んだこと。


わたくしの経験をひとに話すと、みな同じようにいうのは


「厳しい」


という。


たしかに、何度となく、こころを痛め、泣き、身体も壊すぐらい悩み


悩んで、いまがある。


苦しい時こそ、厳しいことをいわれた時こそ、


ぐっと我慢して、謙虚な姿勢で聴く努力をすること。


この辛抱がなければ、ひとは成長しないのではないかと思う。


最近、研修でインストラクションしていると


この我慢、辛抱が効かないひとが多くいる。


こちらが人間の本質を活かしたインストラクションを


教える側が、日々の雑談やコミュニケーションを通して


磨かなければ、話が通じない。コミュニケーションができないのである。


ようは、お話しにならないということである。


そもそも思うのは、

「言葉遣い」

これは人それぞれ、受け取り方はあるが


正直,わたくしが感じる所、年代の高い方々の


言葉遣いの悪さが耳にさわる。


厳しくいう場合もあるが、人間きびしいことをいって


成果があがった試しがないので、そのひとに遠回りでも


きづいていただけるまで、待つことにしている。



ただ、本当に、「素直なこころをもったひと」が少なくなったのは


間違いない。


厳しい世の中、氣持ちが想いのも、理解できる。


みんな同じように、こころにおもいものをしょっているのである。


それを共有し、違っているからこそ、コミュニケーションができる。

違っているからこそ、相手を尊重できる。

この姿勢がもっとも、いま必要とされているように思う。


言葉遣い。


いつのまにか、ひとを傷つけているのです。


KEIKO

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