2011年4月16日土曜日

打てど!響かぬ・・・


週末の研修後、近くの駅からてくてくと歩いていると



大変素敵な場所を発見! 



いつもその会社の横にある、この場所を通っているにもかかわらず



氣がつかないでいた。 もったいないことをしていたものだ。



なんともいえない広がりのある贅沢な空間。



いいなぁ~とながめ、暫く研修資料を配付し、空になったリモアを横に



たたずんでみていた。




わたくしは研修が終わると、非常に、暗い。



深く深くふかーーーーーーーーーーく、反省タイム。



このことを知っている仲間は、研修が終わると



しばらくわたくしのことをひとりにしてくれる。有り難い。



今日も研修を終えて、自己問答。



1. 受講者の満足度はどうだっただろうか。



2. いいわすれたことは?



3. 研修責任者の想いや、伝えてほしいといわれたことが

   きちんとつたわっただろうか。



4. なにかよろしくなかったことは?



5. どうしたらもっと笑いがとれただろうか。



そして、あのひとは、このひとは、大丈夫であっただろうか。。。



声を個別にかけた方がよかっただろうか。。。



新しい何かを伝えることができただろうか。などなど



約1時間~2時間程度は暗い。


ビジネスパートナーと共に研修を実施させて頂くことも多々ある。 今日もそうであった。 専門家による専門分野のお話し。 自分でも出来るけれど、何か自分があったらと思い 昨年度から、パートナーにやっていただいて、自分がフォロー と人材育成にもチャレンジしている。 しかしながら、顧客からクレーム?が来た! ありがたいお話しである。 わたくしのお客様は非常にわがままである。 柔軟にできるだけ、できる限り、わたくしは対応させて頂いており ビジネスパートナーにもそれは徹底していた。 しかしながら、、、、そういうこともある。 なぜなら、、、氣にしていたことが、実際におきてしまったからである。 まだまだ講師としては未熟とわたくしはみているが ビジネス経験豊富であり、ベテランといわれるひとであり なおかつ、わたくしよりも人生の経験も!ある方。 わたくしが「未熟」と思うのは、”自己反省する謙虚さがみられない” 場合にそのような表現をする。わたくしにみられないように ひとに自分の悩んでいる姿やおこった姿などをみせないことも 理解はできるが、「有り難い。挨拶!」ということが わたくしに伝わらないのである。又、今回は顧客とのコミュニケーションの中で 挨拶が足りない。  みごとに、わたくしに似て?顧客も、挨拶にはうるさい。 当たり前であるが、ついつい前に立って、先生,先生なんて いわれ続けていると、えらくなった氣分になり、挨拶がなくなる。 わたくしのまわりには、素晴らしい先生方々がいる。 そんな先生方々に囲まれているわたくしは、いつもいつも 頭をたれて、感謝、感激,そして学び続ける大切さという姿勢を まのあたりにさせて頂ける機会がおそらく、かなり多いほうであり 恵まれているかとは思う。 とはいえ、いくらそのような環境にいたとしても 氣がつかないのであれば、 正直,なにもその人に学びはない。 いいや、、、もう、、、、というのは年長の方でも 仕事をして多少なりにもお金をいただくのであれば プロフェッショナルで会ってほしい。 プロとしてやるべきことをやっている。 それは当たり前! では、どうすることが。。。 「期待以上のことをすること!」 これである。 常に期待以上のことをするためには 研修の場で会っても、油断せずに、受講者の反応をみて 状況変革をおこせるだけのスキルと能力をもって まえにたつ準備をして、やらねばならぬ。 クレームについて、瞬間的に,きづつけないように リフレ-ミングしてから話をした。 電話ごしであったが、クレームをひとしきりきいて 「講師交代も考える」のようなニュアンスのことを話をしたら 「それでもいいですよ」と仕事を投げようとした。 どーーーーーした。 恐らく、同様したのであろうかと思う。 きずつかない人間なんて、わたくしはいないと思う。 人間はきずつけてはいけないのである。 こころに傷を負わせたら、回復するまでに 時間がかかってしまう。 そのように成らないように、適度な危機管理能力を鍛えること。 ありがたい。何か言われたら、有り難いとおもうようにしている。 もちろん、酷くひどくきずつけられたこともあるが それも有り難いと思うようにすると共に反省し そして わたくしは、その方と関わらないように努力する。 なぜなら、何度となく、いっても、何度となくお話ししても 理解をしようとする努力もせず、 自分の意見のみが正しいと思い、押しつけてくるが その自分のおしつけにさえも氣がつかない なんとも残念なひとがいる。 きっと これまでに、なんらかしらの失敗をしても わらって許して!で きてしまったひとではないかと思う。 一度深く深く深く深く 自己を見つめ直し、残りの人生あたらしく 関わってほしいと思う。 人間はいつでも かわることができる。 わたくしはそう思っている。 意識を集中するだけで、人間は、無になり エネルギーを十分になにかあることに集中できるものである。 なんかいいってもだめな場合は あと100回位いってやろうとおもう。 自分のきづつけられない程度に。。。 なぜなら、わたくしも人間だからである。 KEIKO

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