2010年7月30日金曜日

指導者の条件とは・・・




いつも応援ありがとうございます。




感謝



『鍛錬を積む』
そうすることで
人としての徳を身につける。
そう小さい頃から教えられてきた。そして、いまも、

わたくしの師であるA氏からも。
日々辛いことの連続ではあるが、それを乗り越えることで、何かを身につける。
それは何か?と考えた事があった。
それは・・・
『ひとの心の痛みや、痛みが分かる』ということ氣づき、理解できるということ
ではないかと常々思う。
ではなぜ?ひとの痛みに氣づくことを鍛錬しなければならないのか。
「人は、(必ず、誰かを犠牲にすることで)
、生かされている。」
このことを、何度か、有識者の方々やお坊さん、牧師そして身近な家族から
特にわたくしの場合は両お祖父様から教えられてきた。
誰かに叱られ、誰かにきづつけられ、何かできないことに涙していたとき、
お祖父様は、
「それでも、敬子は生きているじゃないか。
何事も命さえ持って行かれなければ、人生何度かやり直せる」
といわれた。
そして、こうもいわれた
「ひとにやられて嫌なことは、決してひとにはやってはならない」
どんなに辛くても、プライドを捨てて、それをまもらなければならない。
ひとよりも少しでもひとの心を察して、対処することで
自分自身もまわりも、豊かに暮らすことができる。
それが、次に支えるものへの、敬子のできること。
敬子にしかできないこと。
そういわれ続けた。
何度か、あまりの氣づかいで、心身共に疲れ果てて
救急車に運び込まれたことさえ氣がつかない人間になっていた。
そのようになったときの対処法までは、お祖父様は教えて下さらなかった。
ただただ、いつも、両お祖父様は、
「敬子、辛いことがあったら、まずは、笑顔だ」
そういわれ続け、守り、ここまできた。
いまは、対処法を様々に見つけ出すことを日々多くを学ぶことで
様々な対処法を発見し続けている。
ひとつパワフルな対処法を。。。
「相手の心を察する」
ということではないかと思う。
いつも指導者育成研修の時に、必ずといっていいほど
伝える言葉。贈る言葉がある。
『人の痛みがわからないひとは、上に立つことはできない』
してはならない。。。上に立ってはならないとわたくしは思う。
そうはいうけれど、ひとの痛みがわからない人というか、察することに鈍感に
なってしまうのが、上に立つ者。。。
毎日、瞬間瞬間に、わたくしは、思う。
「そのひとはどう観ているのか」
どう感じているのか、どう聴いているのか。
この3つを誰よりも早く氣づくことで、リスクをできるだけ抑えている。
こころないこともいわれることがある。
そんな人をいちいち氣にしていたら、わたくしのようになってしまうから
やめたほうがいい。
氣になることやこころもとないことをいわれたら、
飲み込んで、吐き出す!
意識をされたら、きっと、楽になるはずである。
実験済みである。笑)))))
感謝。
何事も、研究し続けている。
P.S. 季節柄、お身体ご自愛下さいませ。拝

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