2013年2月4日月曜日

文化の違い

いつもありがとうございます。感謝。


日本という国を離れて、他国にいくと、できるだけ多くの異文化にふれる機会を


自らつくるようにしている。 本屋、テレビ、様々な報道や情報もいまは


非常に安易にわれわれの手の届く範囲にある。


色んなことを知ったとしても、聞いたとしても、自らみて感じて、そして


語りあわないと本質はわからないように思えるわたくしは、いろんな手段で考える。


今日は尊敬している兄貴分の取り計らいで、異国であった方々と再度お会いすることが


できた。 とても嬉しく思えた。なぜなら、2年以上も前にお会いしたにも関わらず


わたくしのことを覚えていて下さったということ。


話をしてみると、わたくしの実施した研修が面白かった。。。という点である。


また、その国では初めて、直接、わたくしに本音を話すという機会を


あたえて、わたくしが聞き役にまわったことである。


そのことは、彼らからすると不思議でならなかったようである。


楽しい、面白いと思える研修をしたこと、ちょっぴり違ったアプローチで


かれらの本音に迫ろうとしたこと。。。これが、かれらの印象に強く残ったようである。


日本で同じようなことをしても、なんら印象には残らないようにも思えるが


ちいさな私が、何より、オープンマインドで彼らに迫ったからではないかと


わたくしなりに分析してはいる。


人財のコンサルタントをしていると、グローバル教育において


よく質問されることは、


「彼らに叱ったとしても、なんら反応がない」


しかしながら、われわれは叱られて育っている。


そもそも叱られて育っている我々にどうして叱らないで教育できるのかということ。


わたくしはそのたびにいう。。。


叱ったときにも、おこるときにも、「そこに愛があるかないか」で受け取られ方は違うということ。


論理が通じないからこそ、むりに論理を展開する必要もなく、


論理を超えて、本質でマネジメントすることにフォーカスするのが


よいのではないかと私はいう。


本質とは何か。。。


それぞれの役割をそれぞれにまっとうすること。


それをそれぞれの役割でサポートしあう。


この単純で難しいとおもわれることを、繰り返しいい続けなければならないのでは


ないかと思う。


同じ意識を持つこと。


意識を変えるには、まずは自らの行動をめで見える形で変えるしかない。


相手のこころは、その人の行動をみていれば、自然とみえてくるものである。


観察する力。


この力を身に着けることで、戦わずして勝つ。ことができるのではないかと


わたくしは信じてやまない。


語り合うこと。。。


語りやすい人間になっておくこと。


その積み重ねが大事ではないかとわたくしは思う。


感謝。


Keiko

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