2013年2月16日土曜日



いつもありがとうございます。感謝。



私は高いところが大好きである。


なぜだか?わからないが、高いところから何かを眺めると


自分のちょっとした悩みや、深く考えてしまい、どうにもならない時に


高いところから何かをみると、些細なことと思えるからだ。


きっと。。。


先日、東京スカイツリーに昇った。


高いとはいえ、450メートルは高すぎる。


高いところに昇り、そして、その高いところから、低いところを眺めてみると


わたくしはワクワクする。


NYに行った時も、ヘリコプターに乗って、地上からNYの街を眺めてみた時も


いろんな出来事が小さく感じられる。


些細なこと。。。


ひとにとっては些細なことであったとしても、自分にとっては些細なことではないことの


ほうが、私はひとより多いように思う。


最初はあまり自分でも氣づいてはいなかったが、師匠である人々から


そう・・・神経質。。。ガラスのような性格。といわれた。


ある人は、そのことを隠すために、必死で頑張っている。。。ともいう。


ひたすらに・・・何かを、目の前にある何かに必死で考え抜く。


考えて考え抜いて、観て、聴いて、そして、何かしら新しい何かを生み出そうとする。


それが私。


そんな私に何かを期待してチャレンジさせて下さる顧客の方々に対して


自分なりに出来る限り、言える範囲で話をする。


その話の中で、いいすぎたかな?と思うこともあるが、我慢することの方が


実は多い。


本当はこう。。。いいたいんだけれど、、、


本当は、ここは、、、違う、、、といいたいんだけれど。。。


我慢する。


我慢、我慢、我慢、忍耐の連続をどのようにして


切り抜けるのか。。。


それは、時折あうことができる「徳」のある人との出会い。


今日も素晴らしい出会いがあった。


徳のある人というと、様々なことを連想される方が多いかとも思うが


わたくしの考える「徳」のある人の基本的なこと。。。


それは


”人間の機微に氣がつけるひと”


何より、その機微ということに対して、何らかしらの反応がすぐにできるひと。


今日の出会いは外国人であったが、あとからどなたなんですか?と


お聞きしたところ、本社の責任者のひとりであった。


何気ないことではあるが、誰に対しても同じように


「挨拶」ができるということ。



当たり前ではあるが、礼儀正しく、素直に挨拶ができること。


間違いがあったら、すぐに正す、勇氣。


その勇氣を、誤るという勇氣を、受け取れるだけの人間的な器があるかどうか。



そうはいっても、、、この企業競争戦国時代。←私でそういっているだけではあるが、


企業競争が激しい中、その中でひとり生き抜くには


それなりの覚悟と、それなりの努力が不可欠であるかと思っている。



当たり前のことを当たり前にできること。


当たり前のことではあるが、なかなかできるものではない。


何かをしてもらったら、ありがとうという。


”ありがとう”という言葉と”笑顔”は、なにものにも変えがたい。。。


ありがとう。。。


笑顔。。。


感謝のこころを忘れない。


そして、何より、今の時代は、


「許すこと」


本当は頭にきていること、本当はこれって、、、わたくしたちの仕事???と


ある意味、それは、それ、、、、という場面であっても、許すこと。


”受け入れる”


ということではないかと思う。



連続の研修を終えて、家に帰ると、母が倒れていた。


そんなこんなことがあっても、志事(=仕事)は続く。


一歩づつ歩いていくしかない。



感謝



Keiko


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