2011年6月28日火曜日

質問にこたえる


ワクワクすること


ドキドキすること


そして、そのワクワクドキドキで、自分の心のふるえと


まわりから聞こえる声が共鳴した時、ひとは、本当の意味で


「楽しい」


と思うことを感じる時ができる時がある。


そうではない時もある。


そんな時、小さいころであれば、静かにしているあなたに声をかけたり


していたと思う。 大人になると、声をかけていいタイミングと声をかけては


よくない状況をみて、ひとは声をかける。


そうとはいえ、そこにいる以上、共にいる、共に目に見える位置にいるときは


挨拶は最低限する。


その挨拶からも、相手と自分との距離を感じる。



目でみたことを、様々に分析して、見落としがないかを


感じ取る。


感じ取ることで、自分のやること、やらなければならないこと


やってはならないと思われることを考え抜く。


この習慣はいつからだろうか。


恐らく小さい頃から、自分と違う人達とつきあうことを余儀なくされた


環境にいたからではないかと思う。


自分と違う?どんなことだろうか?といつも思う。


確かに違う。


大人になると、職業柄もあるかと思うが、ひとから質問されることが多くなる。


判る範囲で、できるだけ答えるようにしている。うそなく誠実に。


質問されてわからないことはわからない。。。と素直にいうことは決めている。



講演をして、質問を受けつけるようにアドレスをお伝えたら


大変多くの質問をうけた。


自分でも驚いた質問がいくつかあった。



仕事をしていく上で、苦しいと思う事は度々あったが


わからないことをそのままにしておくのが非常にイヤだと思う性格であると


お話ししたら、、、凄いですねといわれたが、何がすごいか、わたくしにはわからない。



勉強することが好きだといったら、これまた、凄いですねといわれた。


これもわたくしにはわからない感覚。


勉強というよりも、興味の世界でもあるが、その興味は


わからないことを自分が納得するための研究のようなものでもあり


辛いとか考えた事がなかったからである。


これはどうしてだろうか???とここ数週間、電車にのっているとき


歩いている時、そして、食事のあとボーとしているときに考えてみた。


まだ自分の中でしっくりきた回答はないが


恐らく「何かに没頭することで、生きていることを実感したいんだろう」と


勝手にいまはそう思っている。


質問にこたえる。


できるだけ。


そんなメールがチェーンのようにひとりのひとで


10回以上繋がってメールで話をさせて頂いた。


すると、あることがわかった。


最終的には「すべては自己判断」であるもの


「すべては自己責任」であるということを。


まだまだ修行が足りないと思う。


試練はまだまだ続くが、たまには


ぼーとしてみようかとも思う時が、たま・・・に。・・・ある???


感謝


Keiko

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