2016年4月14日木曜日

春のひととき・・・

 
 
 
 
 
 
昼と夜の長さがほぼ等しくなり、次第に春めいてくるころ、
この一時(ひととき)が、最も、私の人生のときを刻む時間の中で
新旧が交差する時でもあると感じている今日この頃である。
 
いかがお過ごしでしょうか。
 
うららかな日和になりますと、少々寒さを感じても
氣持は外へと誘われます。
 
野原でなくとても都会の道端でも見かける黄色いたんぽぽ。
どこでも咲く姿に、強さと親しみやすさを感じます。
そして、花が咲いた後の綿毛の、丸く、ふんわりとした姿に
氣持ちはなごみます。 
 
たんぽぽには「幸福を知らせる」という花言葉もあるようです。
 
春のやさしい風に乗って飛んでいく綿毛が幸福を運んでくれることでしょう。
どこまでも、、、
世界中に
 
そんなひととき。。。。
 
冷静に行動を分析すると・・・
 
脳科学を長年学習してきた私は
このひとは、こんな人ではないかと
思ってきた。
 
  こころが病んでいる
  誇大妄想癖
  過度の野心家
だから他人のいったことを
まったく受け入れない。
 
まず、そのような傾向のひとの場合
  挨拶が自分中心であること
  適切な装いが自分中心であること
  言葉づかいが自分中心であること
 
全球人で動いているわたくしは、
自分のことは後回しであり
最期の最後になる。
 
わたくしと同じように
全球人であり、地球人であると
勘違いしていたようである。
 
ひととき、
わたくしもこころが病んでいたから。。。
である。
 
勘違いはよくあることで
そうだ!
そうなんだ!
と氣づいたら、方向転換すればいいことである。
 
人は時として
間違いを犯すものである。
 
間違いを犯したら、すぐに
引き返せばいい。
 
人生は一度だけ。
 
ではあるが、
 
繰り返し
 
繰り返し
 
繰り返し
 
感謝の連続なのである。
 
 
ひとは誰かに支えられて生きている。
 
ひとは誰かを犠牲にして生かされている。
 
自分の勘違いからくる、妄想。
 
野心を持つのではなく
野望を持って欲しいと
こころから願う。
野心とは、どんなことがあっても、自分の心のなかで
処理できる範囲であること。
 
野望とは、自分自身の願望であり、自分の目標を
望む姿であること。
 
過度の野心は、かならず、信頼、信用、すべてをなくすのである。
 
大きなことを実現する為には、たくさんの人の協力が
必要になる。
そんな時に、過度の野心があると、残念ながら・・・
 
成功者は、高い願望と高貴な志を持っている。
 
志とは、
多くの協力があってこそ
実現するものである。
 
優しい。本当に優しいということは
すべてのひとから、信用、信頼されることであり、
自分の忍耐と根性で、すべてを受け容れることである。
 
そう、
簡単にいうと
「ゆるす」ということである。
 
いいも、わるいも、すべて許すということ。
 
なかなかできるものではなく
人生かけての
修行である。
 
わたくしはそのような野○なひととの出会いも
きっと、人生修行のための
ひとつの神様からの教えであるのではないかと思っている。
 
そう、現在、身体の健康維持における“ 心構え ”の重要性が、
医者たちの間で究明されたばかりです。
 
健康を維持するために
感謝をする。
挨拶をする。
許す。
必要なことを行いましょう。
 
また、自分が病気かもしれないなど
といった事について、
くよくよ心配するのをやめましょう。
 
健康の維持という点においては、
そうした方がはるかに良いのです。
 
なぜなら、
“ 人は自分が考えている通りになる ”からです。
 
“ 心 ”は身体に対して非常に大きな影響力を及ぼす
驚異的な“ 装置 ”のようなものなのです。
 
だからこそ、強く健全な心を保てば、
結果的に、身体の健康も保てるのです。

あらためて、健全な誠心というものを見直させてくれる

 

春のひととき・・・である。


寒さ暑さも彼岸までと申しますが、どうぞ油断なさいませんよう
くれぐれもご自愛ください。
 

感謝。

 

ありがとうございます。

 

Keiko Mizuno 水野敬子 

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