2010年12月6日月曜日

成功はいつも私たちの側にある

いつも応援ありがとうございます。

感謝



東京の交差点に立っていても


NYの摩天楼を歩いていても


シンガポールの高速道を何氣なく散歩していても


なぜか?


わたくしは、道を聞かれたり、何かを聴かれたりする。


なぜだろう?



母いわく、「ポーとしているからよ。どこかにすきがあるからよ。


だれが見ても信頼されるようにきちんと立ち、前だけをみて、


まっすぐ歩きなさい。声をかけられるなんて。。。」


とよく叱られたものである。


それが、、、


ある事件から、母は何も言わなくなった。



それは、母と二人、まだ母が元氣であったころ


NYとワシントンに遊びにいったことがある。


ヘッドハンティングで、自分が入りたい!と思っていた企業に決まり


さあ、これから忙しくなりますし、それに非常に忙しくしていた私のわがままを


母は許して?くれていたからである。



姉のところにいたが、母はなぜか?突然、わたくしのひとりぐらしの


ちいさな家に引っ越してきた。 姉から母がわたくしのところにきたことを


恨まれ、何度か、母にかえるようにいった。


なぜなら???


東京にコネなしで就職し、ある程度まで上り詰めるのに


まわりなんて氣にしていられない。


会社、家、そしてジム&学校の往復である。



外資系に入ると、前向きで自分磨きに励むビジネスパースンで一杯で


あった私の環境は、仕事帰りに勉強や自分磨きのためのコミュニケーション


そして、体力づくりはあたりまえ。



家にいる時間も、本をよんだり、学校の宿題をしたりして


かなり規則正しい生活を自然と余儀なくされていた。


そのため、その生活パターンを10年続けていたところに


ある日突然、母がきた。。。


お金をためるために、、、というか、学校のお金をはらうため


ジムにかようため、、、コミュニケーションをはかるため、、、、


などなど、食事を切り詰めていた。


しかしながら、ただ、食事を切り詰めるだけではなく


健康な身体づくりをするために、ジムにかよい、パーソナルトレーナーにつき


体脂肪16%を維持していた。



そんな生活を母が許すわけがない。


そんなこんなで、いろいろとあったが、いまも母といる。


いまは介護をしながら。



母と暮らし始めて2年間ぐらい、母との時間はつくれなかった。


丁度、昇格を目前としていたところで、上司からも


毎日、がんばれ、がんばれ!!!といわれ


尊敬していた上司からの声かけに、それしか見えなかった。


楽しかった。



お嬢様育ちの母は、毎日、わけのわからない東京で


寂しかったようである。


それは、知っていた。



しかしながら、突然来た、母の生活などなど。。。


それを考えると、さらに努力し稼がねばならない。


母に真剣に向き合い、上記のような状態のことなど


一所懸命に話し、納得?してもらい、2年間。


その後、無事に転職が決まったので、そのお祝いに


母と1W位の旅行に出かけた。



そんなNYのホテルのエレベーターの中


6名位の外人に囲まれていたところ、独りの外人が


わたくしに場所を尋ねてきた。



あきらかに、わたくしは日本人。


なんといっても、小さい。。。母は背が実は高い。


なぜ?わたくし、、、なんて思うのはあと。。。



聴かれたら、知っていたら、答える。


知らなくても、まわりにかわりに聞いて、答える。


すぐに、なんらかしらの、反応をする。



最初の外資系(ずっと外資系だが)で徹底的にしごかれた。


その成果であるが、、、すぐに答えた。


聞かれた場所が知っていたところだったので、英語で答えた。



すると、さらなる質問が来て、わからなかったため、エレベーター内にいる


まったくしらない外人に、こえをかけ、外人相手に、何とその場でファシリテーションして


質問し、その困っていた外人をおさめた。



その一部始終を、母が横でまのあたりにしたとき。。。


その時から、、、母は何もいわなくなった。


NYから帰ってきてからというもの、母はまったくわたくしの生活パターンに


くちをはさまなくなった。



わたくしは、よく仕事で外国にいく。


そんなとき、残念ながら、知らない人に助けてもらったことはない。


何度か、危険にあったことはある。



しかしながら、外国にいるプロのいる場所にいくと


そのプロの姿から、何かを感じ、学び、そして、何かを聞くと


親切に教えて頂いたり、また、毎日笑顔で送り迎えして頂くこと。



親切にされた。


たしかにそれには、顧客と働く人という利害関係はあるが


行為は親切である。



と、わたくしは受け止める。


困ったひとがいたら、助ける。


何かに反応する。



今日もまた、顧客と顧客訪問の間に、カフェにはいり


お茶していると、外人が大変な勢いでカフェにはいってきて


店員に凄い勢いで英語で話しかけていた。



困り果てた店員と、約束の時間に遅れて


大変困っていた外人。


暇にしていた?わたくしは、見るに見かねて対応した。



持っていた地図もかなりいいかげん。。。


わかっているのは、店の名前と、そのカフェの近所であろう。。。と


わかる地図。名前だけである。



わたくしもその勢いとテンパッテイル状態に


わたくしも連鎖したのか、あせり、その外人と共に店からでて


探したが、すぐに無駄と思い、カフェにもどり


自らの携帯で店の番号を調べ、むかえにきてもらうようにお願いした。


しばらくすると、その迎えがきて、でていった。



まったく、日本語が話せない外人であったが、、、


困っている姿は国境を越える?


必死で間に合うように、お手伝い。



わたくしがNYで携帯をなくし、困っていたときに


ホテルマンがあっというまに、総動員して時間に間に合わせてくださった


ことをいまでも決して忘れない。


そのホテルマンまでとはいかないが、対応できたと思う。


大変喜んで、その外人はカフェを出て行った。



時間で図るとももの3分程度のできごとであったかと思うが


とても印象に残った。


自分がやられて、嬉しかったことは、どこかでだれかに


同じような行為をして返す。


きっと、その外人も、恐らく、わたくしのように


どこかで困っているひとがいたら、助けて頂けると有り難い。


ひとりではみな生きてはいけない。


感謝


Kei


P.S. 「すぐに動けるようにする」敏感な行動を指導すること「グローバルなリーダー育成」で
悩まれている指導者の方々、また、「なかなか困った仲間」を抱えている方、相談にのります。

お問い合わせは info@keishogrm.com

お氣軽るに。

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